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「髪短いの、かっこいいですね」
真夏のビーチ。
プライベートビーチではなく、宿泊施設に併設された海水浴場だ。
四つ子のために浮き輪を膨らませながら、キニアンは横で同じようにしている人に微笑みかけた。
やわらかな雰囲気の美しい人は、髪が長いときは女性にしか見えなかったのに、肩にもつかないくらいに短くしただけで男性にしか見えなくなった。
フーガと色違いといった様子だ。
「ありがとう。こんなに短くしたのは、何十年振りだろう」
少し照れたように襟足を撫でるシェラ。
少年時代でも肩口で切り揃える髪型で、成長につれて伸ばし、成人してからとあることがきっかけで切ったときもショートカットにはしなかった。
「暑かったですか?」
「ううん。もう慣れちゃってるから暑いから切ったわけでもないんだけど、いい歳したおじさんが長いのもなぁ、って」
「すごく綺麗な髪だから、思い入れがあるのかな、って思ってました」
「んー・・・ヴァンツァーが、切ると怒るから」
「──え?」
緑色の目が真ん丸になって凝視してくるので、シェラは苦笑した。
「服のモデルもやっていたしね」
「・・・ヴァンツァーって、怒るんですか?」
可愛がられている自覚はあるし、家族の前ではよく笑う。
たまに仕事場に行ったときに見る真剣な表情は、怒っているのとは違うだろう。
キニアンは、そんなヴァンツァーしか知らない。
「静かに、不機嫌そうな顔になる」
「あー・・・それは怖そう」
とんでもなく整った顔からごっそり表情が抜け落ちたら、人形のように見えるかも知れない。
「じゃあ、今回はヴァンツァーが切ってもいいって言ったんですか?」
「うん。何か、拍子抜けするくらいあっさり『どうぞ』って」
そのときのことを思い出しているのか、シェラは若干不服そうな顔になった。
「長いのが当たり前になっていたから、そもそも切るって発想もなかったんだけど。それにしたってさ」
「もう少し、惜しんで欲しかったですか?」
くすっと笑われて、シェラは頬を染めた。
「そういえばヴァンツァー、シェラの髪よく触ってましたよね。頭撫でたり。見た感じすごくさらさらで手触り良さそうだから、気持ちいいのかなって思ってました」
「フーちゃんの頭もよく撫でてる」
「猫の毛並み感覚ですね」
あは、と笑った青年は、空気入れから浮き輪を外し、ボート型のものへと付け替えた。
「触ってみる?」
軽く頭を差し出してくるシェラに、キニアンは「遠慮しておきます」と返した。
「フーガはともかく、シェラの髪を撫でたらあらぬ誤解を受けそうで」
「カノンから?」
「これ内緒の話なんですけど」
ちょっと真剣な表情になった義理の息子に、シェラも真剣な表情で頷いた。
「たぶん、カノンは同じように撫でてあげたら機嫌直ると思います」
「ふはっ!」
夫のことが大好きなのにちょっと素直になれない女王様が、ぶすくれながらも絆される様子が目に浮かぶようだ。
「えー、じゃあヴァンツァー?」
「ヴァンツァーはもっとチョロいかも」
「ヴァンツァーの髪も撫でていいですか?」と訊くだけで、にこにこになる気がするキニアンだった。
「あいつのことチョロいとか言えるのは、アー君くらいだね」
「家の中でならいいんですけど、若い男が年上の男を誑かしているように見えるかもなって」
あはは、と楽しそうに笑っている今のシェラは、義母というよりは年の離れた兄に感じられる。
ひとりっ子だったキニアンだが、今では家族がたくさんできた。
「信じられないかも知れないけど、あいつ昔は全然笑わなくて、学校で『氷の貴公子』とか呼ばれてたんだよ」
「絶対かっこいいやつですね。今でもかっこいいですもんね」
「ほんと、顔はいいよね」
「ありがとう」
「──ひゃっ」
頬に冷たいものが触れ、シェラは飛び上がりそうになった。
振り返ると、氷の入ったアイスティーと思しきグラスを持った男がいた。
ビーチなので上半身裸なのは当然なのだが、あまりにも均整の取れた体格に思わずパーカー着用令を出したシェラのおかげで、ヴァンツァーは白い半袖の上着を着ている。
当人は、心臓が止まる思いをしたシェラは無視して、キニアンにグラスを渡している。
「普通に渡してくれればいいのに!」
「顔、少し赤くなっているぞ。日焼け止めは塗ったか?」
「──あ、顔は塗ってない」
「塗ってからグラスで冷やせ」
ヴァンツァーがウエストポーチからジェルタイプの日焼け止めを取り出すのを、まじまじと見つめてしまったシェラだった。
「お前、そんなもの持って歩いてるのか・・・」
「さっきまで使っていた。子どもの肌にも平気なやつだ」
「浮き輪、用意できてます」
「あぁ、ありがとう」
青い瞳がやさしく細められて、何だか誇らしくなったキニアンである。
四つ子はみな泳げるが、今日はぷかぷか浮かんで波に揺られたい気分らしい。
「これ、目元に塗っても平気なやつか?」
「あぁ。アルコール類や刺激物は入っていない」
よしよし、とジェルを手に出したシェラは、両手で伸ばして豪快に顔を覆うようにして塗った。
「お前・・・」
呆れた声を出すヴァンツァーに、シェラは「塗ったぞ」と日焼け止めのボトルを返した。
「なぜそう雑なんだ」
「塗れればいいだろう」
「化粧は下地づくりもあれほど丁寧にするくせに」
「今は化粧しないからな」
髪を切って男に見えるようになったシェラだが、ビスクドールのように美しい顔立ちであることに変わりはない。
「言えば塗ってやったのに」
「この塗り方が一番早く済む」
むろん、子どもたちにこんな塗り方はしなかったヴァンツァーである。
自分たちで塗るとしたら、ロンドは意外と丁寧な仕事をする気がする。
フーガはきっとロンドが塗るのだろう。
アリアもロンドに塗ってもらうだろうが、リチェルカーレはスピード重視でシェラと同じ塗り方になるに違いない。
ファロット家の女の子たちはみなおおらかな気質だが、懐の深いヴァンツァーに似たのか、大雑把なシェラに似たのか悩ましいところである。
「まあいい。行くぞ」
手を差し出すヴァンツァーに、シェラは首を傾げた。
「手を繋ぐのか?」
「そのつもりだが」
「今の私は、男にしか見えないと思うぞ?」
思ってもみなかったことを言われて、ヴァンツァーは目を丸くした。
「それがどうした?」
「男と手を繋いでいると思われるぞ」
パチパチと瞬きをしたヴァンツァーは、ビーチチェアに座っているシェラの横にしゃがみ込むと、ちゅっ、と唇を触れ合わせた。
「理由がそれだけなら行くぞ。子どもたちが待っている」
菫色の瞳を真ん丸にしているシェラに向かって、キニアンは微笑みかけた。
「俺も、カノンと手を繋ぎますよ?」
そう言われて、「あぁ、別にいいのか」と納得したシェラであった。
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シェラさんがショートカットにするお話。