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24日の夕方、ヴァンツァーと並んで歩けていることに、シェラは喜びを隠せなかった。
ふたりは、ツリーやライトによって飾られたショッピングモールで、手を繋ぎ歩いている。
黒いカシミヤのコートに身を包んだヴァンツァーはシェラの目にもとびきり格好良く映り、彼氏が隣にいる女性だって羨ましそうに見てくる。
「ご機嫌ですね」
くすっ、と笑われて、シェラは困ったように眉を下げた。
「ごめん、ちょっと浮かれてる・・・」
「いいんじゃないですか」
可愛いし、と言われて、シェラは頬を染めた。
再会したのが秋の終わりで、年明けには一緒に暮らそうと準備を進めている。
大人びて少し意地悪だった少年は、能面みたいな笑顔ではなく、やわらかい笑みを浮かべるようになった。
「・・・なんか、プレゼントもらったみたいで」
嬉しくて、とシェラは呟いた。
「プレゼント? クリスマスですか?」
ただ歩いているだけで? と首を傾げる恋人に、シェラは頭を振った。
「誕生日プレゼント」
ふふっ、と勝手に笑みが溢れる。
繋いでいない方の手を口許に持っていくと、「へぇ」と頭の上から低い声が落ちてきた。
「冬生まれなんですね」
「うん」
「もうすぐなんですか?」
「昨日」
だから嬉しくて、とにやけそうになる顔を俯いて隠していると、ヴァンツァーが足を止めた。
「ヴァンツァー?」
どうしたの? とシェラも立ち止まって右隣の長身を見上げれば、素晴らしく美しい男が青い瞳で見下ろしてきている。
ビクッ、と肩を揺らすシェラに、一瞬前の真顔が嘘のようににっこりと微笑みかけると、ヴァンツァーはシェラの手を引いて歩き始めた。
「じゃあ、プレゼント買わないと」
「え? あ、いや、ごめん、そういうつも」
「何がいいかな──あ!」
嬉しそうな声がして、ズンズン歩いていく青年の歩幅は大きい。
何か怒らせるようなことをしただろうか、と焦るシェラは、ヴァンツァーが入ろうとしている店構えを見て唖然とした。
「──は・・・?」
絶句しているシェラの手を引いて店内に入ると、「いらっしゃいませ」と挨拶しようとした店員も一瞬ぎょっとしたように目を瞠った。
そして、ふたりいる店員どうしがチラチラと視線を交わしている。
「ヴァ・・・ヴァン」
まずいよ、と繋いでいない方の手で服の袖を引いたシェラだったが、外面だけは大変良い男は、顔を赤らめている店員に笑顔で言った。
「このひと、超Aカップなのを気にしているんです。だから、可愛い下着を見繕ってあげてもらえませんか?」
「──ヴァンっ!!」
真っ青になったシェラだった。
女性用の下着専門店に、男ふたりで入って何と血迷ったことを。
出よう、とヴァンツァーの服を引っ張っても、びくともしない。
すみません、すみません、と頭を下げるシェラの焦りように、店員たちは逆に落ち着きを取り戻したらしい。
「はぁい。彼女さん、いつもどんなの着けてらっしゃいますか?」
にこやかに話し掛けてくる女性店員たちに、シェラはただ首を振るばかり。
泣きそうになっているシェラの肩にポン、と手を置いたヴァンツァーは、「いいですか?」と子どもに言い聞かせるような口調になった。
「そうだな、十着以上選ぶこと」
「・・・え?」
「可愛いのでも、セクシーなのでも、あなたの好きなものを──あ、ベビードールもね」
「いや、あの」
「支払いは俺がするけど、あとで楽しみにしたいから全部包んでもらっておいてください」
「──え?」
その言い方では、と不安そうな顔をするシェラに、ヴァンツァーは「選び終わったら呼んでくださいね」と携帯端末を振って見せる。
「・・・なんで」
「何で、って」
ちょっと呆れたようにため息を吐く男を、シェラは眉を下げて見上げていた。
「俺がこの店にいたら、他の客が入りづらいでしょう」
「わ、わた」
私だって男だ、と言いたかったに違いないシェラの唇に、ちょん、と指を当てて、ヴァンツァーは微笑んだ。
「──十着選べなかったら、お仕置きだよ」
じゃあまた後で、と背を向ける男のコートを、シェラは反射的に引っ張った。
その手を見下ろしたヴァンツァーは、シェラの不安の理由が分かったのだろう。
「仕方ないですね」
ぱっ、と顔を上げたシェラの手に、ポケットから取り出したものを握り込ませる。
握った手の上から自分の手を重ねて、「それ、貸してあげます」と告げた。
「・・・ヴァンツァー?」
「取りに来ますから」
だから置いていったりしない、と言外に含め、ヴァンツァーはポンポン、とシェラの頭を叩くと今度こそ店を出ていった。
「──彼氏さん、めちゃくちゃイケメンですね」
「ひゃいっ」
後ろから声を掛けられて、シェラは思い切り肩を揺らした。
ぎゅっと握った手に当たる冷たい感触。
そっと開いてそこにあったものを見て、びっくりしてまたすぐ握り込んだ。
「背も高いし。雑誌では見ないですけど、モデルさんとかですか?」
訊ねてくる店員に、シェラはおずおずと答えた。
「・・・弁護士、です」
ひゃあ、とまたちいさくはない歓声が上がる。
「完璧じゃないですか!」
「逃しちゃダメですよ!」
「あの」
「当店は、カップサイズの大きなお客様用も、そうでないお客様用も可愛いのたくさんありますので安心してください」
「素敵なクリスマスにして、ガッチリ掴んでおきましょう」
「あ、いえ」
「色はどんなのがお好きですか?」
「新作はこちらで」
「──あの!」
勇気を振り絞って声を出すシェラに、店員たちはきょとん、とした顔を向けた。
俯いて胸の前で手を握り込んでいるシェラは、ドクドク音を立てる心臓を落ち着けるように息を吸って吐いた。
「ご、ごめんなさい」
「お客様?」
「わ、わた・・・」
「どうかされました?」
「わた、し・・・──お、男・・・なんです」
ほとんど吐息で呟いた言葉のあと落ちる沈黙に、シェラは「怒られる」と覚悟した。
「えーっと・・・さっきのは、彼氏さんじゃないんですか?」
「か・・・彼、です」
認めると頬が勝手に熱くなる。
真っ赤な顔で視線を彷徨わせているシェラに、店員はまた訊ねた。
「こういう下着は、好きではないとか?」
ふるふるっ、と首を振ったシェラだ。
「ほ・・・ほんと、は・・・欲しいんです・・・で、でも、わ、私は男なので・・・」
涙が浮かんでくるのを、握った拳でぐいっと拭った。
「あ、あの・・・ごめんなさい。すぐ帰り──」
「──なぁんだ!」
「悪戯とか、無理やりとかじゃないんですね?」
「・・・」
どこか心配そうに声を掛けてくる店員たちに、シェラは首を振った。
「イケメンだからって彼女さんに無理やり好きでもない格好させるんじゃ許せないですけど、そうじゃないんですよね?」
「はい・・・」
むしろ、女性用の可愛い下着も、服も、シェラにとっては憧れだ。
通販サイトで見たりはするけれど、どうしても自分では購入ボタンが押せないもの。
だから、ヴァンツァーにコスプレさせられるのだって、ちょっと恥ずかしいけれど嫌ではない。
「おっけーです! さぁ、選びましょう!」
「──え?」
どうしてそうなるの? と目を丸くするシェラに、店員たちはにっこりと笑った。
「最近は、男性のお客様もブラジャー買うんですよ?」
「──え?!」
「男性どうしのカップルでなくても、普通に男性も購入されます」
「スポーツやってる男性がつけたり」
「カッチリしたスーツの男性が購入したり」
「当店も、あまり数は多くないですけど男性用もあります」
「・・・そうなんですか」
「ただ、男性用だと女性用のものほど装飾性はないので・・・お客様の場合は、どういったものがお好みですか?」
──変じゃ、ないんだ・・・。
それだけで、救われた気持ちになるシェラだった。
+++++
あれこれ迷っていたら、結構時間が経ってしまった。
ほんの少しだけ不安だったけれど、メッセージを入れたらすぐに返事が来て、シェラはほっとした。
いくらもしないで戻ってきたヴァンツァーは、暑くなったのかコートを脱いで腕に掛けており、そのスーツ姿にまたシェラは見惚れそうになった。
「ちゃんと選べた?」と笑顔で訊ねられて、はっとする。
「あ、あの」
「うん」
「い・・・いっぱいになっちゃった」
あれ、と既に包み終えているショップバッグを指差す。
よく出来ました、とばかりに、ヴァンツァーはシェラの頭を撫でた。
「男がしても・・・変じゃないんだって」
「そうですね」
「だから・・・──きみのも、選んでおいた」
「・・・・・・」
へへっ、とはにかむように笑うシェラ。
「あ・・・あのね・・・お揃いのがあったの・・・だから」
ちょん、とヴァンツァーのジャケットの裾を摘む。
ちらっ、と見上げたヴァンツァーは表情がなく、無言だ。
黙っていると冷たく整った美貌の男なので、何とも言えない圧力がある。
良いとも悪いとも何も言ってくれなくて、シェラはちらっ、ちらっ、と頭上の美貌に目を遣る。
それでも無言で見下されていると、だんだんと細い眉が寄っていって、むぅ、と唇が尖っていく。
まだ無言でいる男をグッと睨みつけるようになって、それでも何も言ってくれなくて、不安が爆発したシェラは息を吸った。
「──かっ、買って! あれ全部! 私が好きなの買ってくれるって言った!」
「・・・」
「選ばなかったらお仕置きだって言ってたけど、いっぱい買っても怒るなんて聞いてない!!」
だから買って! と駄々っ子のようなことを言うシェラに、ヴァンツァーは思わず吹き出した。
「──Sure!」
「・・・いいの?」
「As you like, babe.」
その代わり、とキスをするときのように指先で顎を持ち上げられ、シェラは目を丸くした。
「覚悟しておけよ」
そう言って、何だか鼻息を荒くしている店員にカードを渡すと、ぽかん、としているシェラに思い出したように半透明のちいさな手提げバッグを渡した。
コートの下で持っていたらしいそれには、四角い箱が入っている。
「はい」
「──へ?」
「バッジと交換」
「・・・」
もともとバッジは返す予定だったが、良く分からないまま金色のバッジを渡し、シェラは代わりにバッグを受け取った。
お菓子? と思って見ていると、会計を済ませたヴァンツァーはショップバッグを受け取って店を出ようとしていた。
「あ、ま、待って!」
ありがとうございました、と頭を下げてくる店員の声を背中で聞き、ショッピングモールの中を進んでいく長身に駆け寄る。
「ヴァンツァー、これなに?」
「んー。とりあえず、誕生日プレゼントかな」
仮のね、と歩いている青年は、どこか目的地があるようだった。
「たん・・・くれるの? でも、仮・・・?」
プレゼントがもらえるなんて思っていなくて驚いたシェラを振り返り、ヴァンツァーは銀色の髪に隠れた額をツン、とつついた。
「誕生日も教えられないなんて、イケナイ人ですね」
「・・・」
叱られているのは分かっているのだけれど、それよりもデートだけではなくプレゼントまでもらえたことが嬉しくて、シェラは緩む頬を止められなかった。
「あ・・・開けていい?」
「どうぞ」
邪魔にならないように通路の端に移動し、シェラはいそいそと箱を開けた。
中には、小さいけれどキラキラと輝く石が縦に三つ並んだピアス。
「わぁ・・・可愛い」
シンプルで、どこにでも着けていけそうだ。
「キラキラ」
にこにこしていたら、「好きですか、キラキラ?」と少し笑った声で言われた。
「・・・おかしい?」
「いいえ。でも、カットは良かったけど、カラーが良くないからピンクゴールドにしてしまったんだ。キラキラしたのが好きなら、あとでもっといいのを買いに行こうね」
そう微笑まれて、シェラは絶句した。
「カット・・・まさかこれ──ジュエリーなのか?」
アクセサリーだと思っていたシェラに、「そりゃあそうでしょう」と年下の男が呆れたように言う。
「あの男からは、もらったんでしょう?」
「──へ?」
「前は開いてなかったですよね、ピアス」
「・・・」
よく見ている。
「他の男が開けたのかと思うと、ちょっと腹立ちますけど」
「・・・」
「何です?」
じっと見ていたら少し嫌そうな顔になって、それが昔のヴァンツァーのようで、シェラはちいさく笑った。
「正直に言うと」
「・・・はい」
「開けて、ってお願いした」
「・・・」
「でも、病院行けってピアッサー突き返された」
「──は?」
「ちゃんと、皮膚科か美容外科で開けて来いって」
微妙な顔つきになったヴァンツァーを見て、シェラはまた笑った。
「おかげで、綺麗に開けられたよ」
それに、と続ける。
「あの人からは、形の残るプレゼントはもらってないんだ」
レストランでの食事や、一泊二泊の旅行くらいはあったけれど。
それは、シェラにしてもそう。
特に決めたわけではなかったけれど、何となくそうしていた。
「だから、人からもらうのは初めて! ありがとう」
そう言ってシェラは、取り出したピアスを両耳に着けた。
「似合う?」
「・・・とても」
その言葉に気を良くしたシェラは、箱をバッグにしまうと荷物を持っていない方のヴァンツァーの手を握った。
「司法修習生って、お給料出るの?」
「一応公務員ですから。でも、バイトした方が余程稼げますよ」
「え、じゃあこれ」
「恋人に誕生日プレゼント渡すくらいは持ってる。口座分けてないんで、『何の金だ』って言われると困りますけど」
やっぱりちょっと怒っているらしいヴァンツァーに、シェラは「ごめんなさい」と呟いた。
「・・・私にとって誕生日って、あまり意味のあるものじゃなくて」
こんなに気にするとは思っていなかったのだ。
しゅん、としてしまったシェラに、ヴァンツァーは「いいよ」と返した。
「なら、これから意味のあるものにしよう」
「──ヴァンツァー・・・」
「誕生日プレゼントは仕切り直すから、クリスマスプレゼントを買いに行こうか」
「え、い、いいよ! ピアスもらったし、それに」
ランジェリーだって、とそちらは少し恥ずかしくて口には出来なかったけれど。
「──お揃い」
「──え?」
「したいんだろう? 職場であまり目立つのはまずいだろうから、スタッドピアスにしますか? もちろん、指輪やネックレスでもいいけど」
指輪ならネックレスに通せるか、と呟きながら歩く青年は、ジュエリーショップに向かっているらしい。
「・・・」
何だろう?
何でこの子は、こんなにも私を甘やかすのだろう?
そんな風に思っていたら、ため息が聞こえてきた。
怒らせただろうか、と見上げたら。
「・・・ごめん。俺も結構浮かれてる」
思いがけない言葉に、シェラはパチパチと瞬きをした。
「無理強いはしない。でも、遠慮もしないで欲しい」
「・・・うん」
そうだ、これからは誰に憚ることもない。
堂々と、こうして手を繋いで歩いたっていい。
シェラは、ちょっとドキドキしながら、繋いでいた手を絡めるようにして握り直した。
ヴァンツァーも握り返してくれたから、嬉しくなって訊いた。
「きみの誕生日は?」
「4月1日ですよ」
「──・・・それって本当?」
思わず訊ねたら、「えぇ」と返された。
「だから、その日は嘘禁止ですよ?」
俺は吐くけどね、と理不尽なことを言われて、シェラは思わず「何それ」と笑ってしまった。
──じゃあその日は、この子の好物ばかりを食卓に並べて、たくさん好きだと伝えよう。
「ねぇ、ヴァンツァー」
「うん?」
「雑貨屋さんに寄ってもいい?」
「いいですけど」
どうして? と訊ねてくる藍色の瞳に、シェラはにっこりと笑顔を返した。
「クリスマスプレゼント、ペアのマグカップがいい!」
「・・・そんなものでいいんですか?」
「随分安いな」とでも思っているのだろう、眉がひそめられる。
「新しい家で使おう?」
キラキラと宝石のように輝く菫色の瞳が期待するように見上げてきて、ヴァンツァーは自然と頬を緩めた。
「じゃあ、ステンレスとか、割れないやつにしましょうか」
「──それいい!」
心から喜んでいるのだろうことが分かって、両手が塞がっていたヴァンツァーはシェラの額に唇を落とした。
「──のわっ!」
あんまり可愛くない声が出たものだから、ヴァンツァーは余計に笑ってしまった。
まったくもう、と呟きながら前髪を撫でているシェラだったけれど、その顔が満更でもないことなどもちろん分かっている。
「楽しみですね」
意地悪でも厭味でもないヴァンツァーのそんな言葉に、シェラはにっこりと笑って頷いた。
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なげー・・・。
末永く爆発するといい。