小ネタや更新記録など。妄想の赴くままに・・・
私の書く話がまとまっていた試しがないので、気にしない方向で。
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床を蹴り、飛び上がった勢いのまま宙返りをしたヴァンツァーは、眼下で色違いの瞳を「ほわぁ」とまん丸にしている娘と目があった。
「いまだよって、ゆってたのに・・・」
誰が? とは訊いてはいけないやつだ。
女の子は秘密がいっぱいだとライアンが言っていた。
アリアの突き出しているロッドの高さと角度を見て、ヴァンツァーは思わず眉を顰めた。
当たれば、左の肩甲骨の少し内側。
避けられたのは、勘以外の何ものでもない。
「もうちょっとだったな」
厭味のつもりはなかったがそう聞こえただろうかと、言ったあとに心配になったが、「うん!」と元気いっぱいの頷きが帰ってきた。
──天使かな。
ついほっこりしそうになったヴァンツァーだが、他の三人もアリアの周りに寄ってきたので、少々表情を引き締めた。
「あーちゃん、惜しかったね!」
「つぎはいけるよ!」
アリアを励ますロンドとリチェルカーレとは別に、フーガは少し考えるような顔つきをしている。
「みんな頑張れ~。ヴァンツァーをやっつけろ~!」
シェラからも激励の声が飛ぶと、フーガははっとしたあと少し困ったような顔つきになった。
可愛そうに、とは思ったが、ヴァンツァーは黙っていた。
きっとフーガは、アリアの動きを見て父に勝てる可能性を探っていたのだろう。
手に入りそうになったところで、解けてしまったに違いない。
「時間まだあと半分あるね」
「パパにかって、おもちゃおねだりするんだもんね!」
ロンドとリチェルカーレが気合を入れ直しているが、「そんな話だったかな?」とヴァンツァーは内心で首を傾げた。
勝負などしなくても玩具くらい買ってあげるのだけれど、たぶん『報酬』っぽいのが良いのだろう。
その気持ちはよく分かるヴァンツァーだった。
「フーちゃん、パパすごいね! つよいね!」
アリアに話し掛けられたフーガは、にっこり笑ってコクコク頷いた。
彼にしては珍しい興奮具合だ。
四人が読んだ漫画がどのような内容なのかは知らないが、『父は敏腕スパイ』だというのなら、その期待には応えなければいけない。
──どちらかと言えば、『スパイ』と『殺し屋』は逆だが。
まぁ、兼業農家みたいなものだ。
トントン、と軽くその場でジャンプをしてロッドを握り直したヴァンツァーは、「来ないならこちらから行くぞ」と宣言し、今の自分が出せるトップスピードで四人に迫った。
この四人を同時に相手にするのであれば、攻撃に回った方が楽だ。
ロンドとリチェルカーレに対しては、防戦に回っても問題ない。
速く、鋭い攻撃を仕掛けて来るがまだまだ軽く、その動きは分かりやすい。
フーガは賢い子だが、一生懸命で真っ直ぐな性格なので攻撃は大抵正面からだ。
──問題は、アリアか。
視界から外すとマズいというのは、先程よく分かった。
一対一で相手をしているときはひとりの動作に集中すれば良いが、四人いっぺんだとアリアの気配が消える。
殺気はもちろん敵意も害意もなく、足音ひとつせず、『攻撃する』という意図すらないのでロッドを鋭く振り回すこともない。
それはそうだ、彼らの目的を達成するには『父を倒す』必要はなく、『父に当てる』ことが出来ればいい。
どんなにちいさな、蚊が刺すほどの強さであろうとも、ヴァンツァーに自分たちの持つロッドが触れれば良いのだ。
だからアリアは、きっとにこにこ笑いながら、そっとロッドを突き出したのだろう──父の心臓目掛けて。
なかなか将来有望な子である。
「──さぁ、勉強の時間だ」
一瞬で父が目の前に来たと思ったら、次の瞬間にはロッドが手から離れていて、四つ子はきょとん、とした顔つきになった。
次の瞬間、「「「「わっ」」」」と慌てて武器を取ろうと身をかがめるが、がら空きの背中側のプロテクターにトン、と軽い力でロッドの先端が当てられていく。
倒れ込んだ子どもたちへ、ヴァンツァーは諭すように言った。
「お前たちの勝利条件は、『ロッドを俺に当てる』ことだ。俺はスパイだから、正々堂々なんて勝負はしない。武器を持てなければ、お前たちの負けだ」
一番速く動いたのは、意外にもフーガだった。
最初は、それまでと同じくロッドで打ち合う形を取っていた。
ヴァンツァーがまたロッドを落とさせようとすると──。
「ほぅ」
思わず感心してしまったのは、フーガがロッドを短く戻したからだ。
ヴァンツァーが当てようとしていた部分は隠れ、そのまま攻撃を続けていたらパランスを崩したかも知れない。
「いい考えだな」
にっこりと笑ったヴァンツァーは、手の中でロッドを滑らせて短く持つと、フーガの胸のプロテクターの上を突いた。
防御がしづらくなるが、武器を取り落とすことはなくなるだろう。
きっとフーガも、ロッドを落とさなかったあとのことまでは考えがまとまっていなかったに違いない。
尻もちをついたあと、また少し考えるような顔つきをしている。
ロンドは右手に持ったロッドが落とされそうになったら、左手で持ち替えて攻撃を続けた。
「あぁ、お前は両方使えるのか」
ヴァンツァー自身もそうだが、左右の手はある程度バランス良く使える。
「では今度は、左利き相手の戦い方も覚えるといい」
「うわっ」
ヴァンツァーも左手にロッドを持ち替えたので勝手が変わったのか、攻撃をいなすことが出来ず前のめりに倒れ込んだ。
「パパだいすき!」
「ありがとう」
好きといいながらものすごい険しい表情で強撃を打ち込んでくるリチェルカーレに涼しい顔で返したヴァンツァーは、娘がロッドを握る手首のプロテクターを下からコツン、と突き上げた。
軽い力だったが、リチェルカーレの手からロッドが落ちた。
「なんでーーー?!」
「ロッドが落ちた理由か?」
「すきってゆったら、パパゆだんするとおもった!」
「・・・」
すごく複雑な気分だ。
あれは油断させるためだったらしい。
道理でやる気満々の顔をしていると思った。
この10分間で、一番ダメージが大きかったかも知れない。
「パパだっこ~」
ハートブレイク中のヴァンツァーは、アリアの声に一瞬「何で?」と思ったが、つい癒やしが欲しくて振り向いた。
「・・・」
アリアの手にロッドはない。
両腕をピン、と伸ばして抱っこのポーズだ。
けれど、背後に何か憑いている。
「・・・逆の方が良かったかな」
小柄なアリアの背後に、縮こまってロッドを構えているロンドがいる。
ロンドの背後にアリアが隠れることは出来るかも知れないが、逆はどう考えても無理だ。
確かに、ロンドに抱っこをせがまれても警戒するだけだっただろうが、それなら背後にアリアがいると気づいてもいなかった今のまま攻撃していた方が良かった。
「そっか! ロンちゃん、ぎゃくだって!」
パチン、と両手を打ち合わせたアリアは、ロンドの背後に回った。
「これでいい?」とばかりにひょっこり顔を出し、にこにこ笑っている。
──天使かな。
もう、アリアには負けてもいい気がしてきたヴァンツァーだった。
「・・・パパ」
控えめな声がして横を向けば、フーガがとぼとぼ歩いて来るところだった。
だらり、と両手を下ろしていて、どこか不安そうな顔をしている。
「あ、あの・・・」
持ち上げた右腕からカシュ、とロッドが伸びてきたが、ヴァンツァーは自分のロッドでそれを受け止めた。
「フーガには少し難しいかも知れないが、隙きを見せたらそれは相手の落ち度だ。そこを突くことは、悪いことではないよ」
「うん・・・──ごめんなさい」
うるうると、潤みの強い菫色の瞳が見上げてきて、ヴァンツァーは思わず見つめ返してしまった。
──とん。
腹部に軽い衝撃を受けて、藍色の目が瞠られる。
視線を落とすと、フーガの左手からもロッドが伸びていてはっとした。
──アリアのロッドか。
渡したのか拾ったのかは分からないが、フーガは両手にロッドを持っている。
その左手のロッドの先端が、自分の腹に当たっている。
「「「「かっ・・・──かった~~~!!」」」」
シェラ、ロンド、アリア、リチェルカーレの声が重なる。
戦いに参加していなかったシェラまで大興奮で駆け寄ってきて、「やった、勝った!」と三人の子どもたちとはしゃいでいる。
「・・・ごめんなさい」
謝るフーガに、ヴァンツァーは首を振った。
「言っただろう。油断する方が悪い」
制限時間は、あと2分ほどある。
集中し切れなかった自分の負けだ。
「うん・・・ぼくが一番弱いもんね」
フーガの言葉にヴァンツァーは瞠目した。
「だから、パパに勝てるの、ぼくだけだと思って」
困ったように眉を下げる息子の様子に、ヴァンツァーは天井を仰いだ。
そうして、フーガと目線を合わせるようにしゃがみ込むと、動き回って少し乱れた黒髪を、そっと撫でてやった。
ストン、と真っ直ぐに戻った髪は、そのまま彼の気性のようだ。
「なぁ、フーガ」
「うん」
「それは俺を騙したんじゃなくて、違う一面を見せただけだ」
「──え?」
考えてもみなかった言葉に、紫色の瞳が真ん丸になった。
「やさしいお前の、新しい魅力だよ」
よしよし、と頭を撫でたら、じわりと頬が紅く染まった。
「パパがまたフーちゃんくどいてる」
──口説いてない。
しかも「また」って何だ。
誰がリチェルカーレにそんな言葉を教えたのか──心当たりが多すぎて、考えるのが面倒だ。
たぶん、大きいやつらは全員だ。
「──さぁ、ヴァンツァー。お前の負けだ」
何でシェラが偉そうにしているのかはよく分からないが、尊大に胸を反らしている様子がチワワの親玉っぽい。
肩をすくめたヴァンツァーは、「玩具だったか?」と子どもたちに視線を向けた。
「「「「──ダーツ!!」」」」
元気いっぱいの声が返ってきて、ヴァンツァーは「なかったか?」とシェラに訊ねた。
「止まってる的は簡単だから、的が回転するやつが欲しいらしい」
「あるのか?」
「知らん」
そもそも、止まっている的に当てるのも難しいから競技として成立するのであって、狙ったところに当てられなければ仕事にならなかった自分たちにとって、ダーツは遊びにもならない。
「ダンボールを丸く切って自分たちの手で回して遊んでいたらしいが、速度が出ないらしい」
「ふぅん」
まぁ、なければ作らせればいいか、と金持ち思考になったヴァンツァーだ。
「しかし、回転すると投げる場所は毎回さして変わらなくなると思うが、遊びになるのか?」
と、子どもたちに訊ねると、不思議そうな顔が返ってきた。
「一定の場所に目的の点数が来るときを狙えばいいだけだろう?」
その言葉に、子どもたちが目と口を真ん丸に開けた。
そうして、顔を突き合わせて「どうする、どうする」と相談を始めてしまった。
「ゆっくり考えなさい」
いつでもどうぞ、とヴァンツァーはプレイルームの出口へ向かった。
「上に戻るのか?」
「シャワー」
簡潔な言葉に、シェラはなるほど、と納得した。
そして、子どもたちにひと声かけて自分もプレイルームをあとにした。
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アリアに負けるヴァンツァーを考えていましたが、思いの外警戒心が上がってしまったので(笑)
おまけで夫婦のその後を書いても良いのですが、それは気が向いたら。
前回は前編としていましたが、うーん、2本でなく3本になりそうです。
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行者として生きていた頃、正面からぶつかったら勝てないと思った相手は、片手の数くらいだったろうか。
多くとも、両手には満たないと思っていた。
手段を選ばず殺せばいいだけなら、その数はもう少し減った。
この世界に生き返ってその数が倍くらいに増えて、「勝てるか?」と頭の隅で考えた自分を、ヴァンツァーは嗤った。
ここでは、そんな風に考える必要はない。
命を狙い、脅かされることが日常だったあの頃は、今や遠い。
──そんな風に思っていた時期がありました。
開始1分、残り時間を告げるデジタル時計の数字は全然減っていないのに、ヴァンツァーはもうやめたくなっていた。
子どもたちは約束通り、頭、肩、胸、肘、手首、ウエスト、膝をガードするプロテクターをつけている。
手の大きさがちいさいから、子どもたちのロッドはヴァンツァーが使うものよりずっと細い。
けれど、長さはヴァンツァーが持つものの方が、少し短い。
ヴァンツァーが打ってもいいのは、ロッド、もしくはプロテクターの上だけ。
全身を覆うプロテクターもあるし、軽量化されているので慣れればさほど動きに支障もないが、あえて急所以外は守らせない。
痛いと思うことも訓練だが、それはひとつのハンデでもあった。
──いらないんじゃないか・・・?
内心、そんな風に考えながらロンドとリチェルカーレの猛攻を受ける。
体重はヴァンツァーの3分の1にも満たないくらいしかない子どもたちなので、攻撃自体は軽い。
けれど、恐ろしく速い。
きっと、今の状態で大学生向けのロッドの大会に出ても、かなりの成績を残すだろう。
「制限時間は15分」
「「「「ええーーー!」」」」
15分しか遊んでくれないのか、と物分かりの良い子どもたちには珍しくごねられたが、譲らなかった自分を褒めてやりたいヴァンツァーだった。
20分やったら3割、30分やったら5割の確率で負ける。
無論、何の制限もなければもっと長く相手をしても良いが、疲れが出れば手元が狂う。
これは遊びであり、訓練であり、子どもたちを倒すことが目的ではない。
ロッドとプロテクター以外の場所を叩くか、子どもたちのロッドがヴァンツァーの身体に触れるかしたらヴァンツァーの負けだ。
「じゃあロンちゃん、さいしょからぜんりょくね!」
キリッ、とした表情のリチェルカーレは、髪をポニーテールにしてもらったらしい。
シェラがちいさい頃はこんな感じだったのだろう、と思える、愛らしい少女剣士の姿だ。
「うん、いいよー」
のんびりとした調子で笑顔を返したロンドは、シェラが開始の合図をすると高く跳躍した。
ヴァンツァーの身長など軽く超えるほどの高さから打ち下ろしてくるロンドと、同時に低い位置から打ち込んでくるリチェルカーレ。
もう、この時点でやめたくなったヴァンツァーだ。
まぁ、幸いなことにふたりとも直線的な動きなので、避ければいいだけだが。
「何で避けるんだ!」
外野(シェラ)が何か叫んでいるが、「普通避けるだろう」と頭の中で返事をして、左手から打ち込んできたフーガのロッドを受ける。
ちょうど中心あたりを握り、左右に振るように打ってくる。
ロンドやリチェルカーレのような強撃は打ってこないフーガだが、素早く細かい打ち込みで相手を崩そうと狙っている。
思わず、ふっ、と笑みが零れた。
ピタッ、とフーガの動きが止まったので、「上手だ」と褒めてやったら白い頬にふわっと赤みがさした。
「誘惑禁止!」
また外野が叫んでいるが、ロンドとリチェルカーレが文字通り飛んできたので無視して、頭上でふたりのロッドを受けた。
中心よりも拳ふたつ分ほど下を握り、攻撃に重さが乗っている。
それを、ヴァンツァーのロッドの両端ギリギリを狙って打ち込んでくる。
苦笑しながら、受けた力を流すように軽く身をかがめ、一気に押し返した。
「「──わっ」」
単純なパワーなら、ヴァンツァーの方がずっと強い。
現役の行者だった頃の倍近く生きているし、当時の自分と今戦ったら瞬殺されると思うが、子どもたちとは経験値が圧倒的に違う。
潜入ももちろんやったが、本業は荒事だ。
気配を消すことが得意なものは、気配を読むことにも長けている。
これに関しては、レティシアよりも巧みだったと断言出来るヴァンツァーだ。
子どもたちは普段歩くときにはほとんど足音をさせないが、息遣いや衣擦れ、武器が空気を切る音だって、立派な気配だ。
チラッ、と見た時計は5分が過ぎたところ。
──あと10分なら何とか。
ゾクッ、と肌が粟立って、反射的にロッドを後ろに突き出しそうになったヴァンツァーは、代わりに床を蹴った。
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前中後編ということは、次で終えるしかない・・・終わらなかったらおまけで(こら)
アレ。我ながら、発想が天才よな。
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心臓が、止まるかと思った。
「「──ちち、スパイ! はは、ころしや!」」
にっこりにこにこ太陽のような笑顔を向けてきたアリアとリチェルカーレの言葉に、ザッと血の気が引いた夫婦は素早く視線を交わした。
──まさかお前。
──言うか。
双子の子どもたちはすべてを知っているが、まだ七つにも満たない四つ子には自分たちの過去を話していないシェラとヴァンツァーは、ではなぜ、と眉間に皺を寄せた。
「・・・あーちゃん、りっちゃん・・・ど、どういうことかな?」
頬を引き攣らせつつ訊ねると、色違いの瞳をきらきらさせたふたりは「「まんが!」」と声を揃えた。
「漫画・・・?」
「ランちゃんが貸してくれた漫画だよ」
「ライアンが?」
ロンドの言葉にシェラが瞬きをすると、フーガが単行本を差し出してきた。
「敏腕スパイの男性と凄腕殺し屋の女性と超能力者の女の子が、お互いの素性を知らずに偽装家族になってドタバタするお話・・・かな」
思わず黙り込んだ夫婦は、受け取った漫画と互いの顔をチラチラと見遣る。
──何かどっかで聞いた設定。
いや、自分たちは本物の夫婦だし、子どもたちだって実子だけれど。
「女の子が可愛いんだよ。──あーちゃんとりっちゃんみたいだよね!」
むぎゅっと妹たちを抱きしめるロンドに、夫婦は「ははは・・・」と乾いた笑いを漏らした。
「その子はエスパーだから、養父や養母の本当の姿も知ってるんだけど、まだちいさいから情報が繋がらなくて。登場人物たちが知ってる情報と、ぼくたち読者が知ってることの乖離が面白いと思う」
純粋に物語を楽しんでいるらしいフーガに、ヴァンツァーは苦笑した。
「「だからパパしょうぶ!!」」
「──え?」
何が「だから」なのかさっぱり分からず、ヴァンツァーは藍色の瞳を瞬かせた。
「アリアとリチェと」
「ロンちゃんとフーちゃんと」
「「──しょうぶ!!」」
ずいっと娘たちが差し出してきたのはアクションロッド。
さすがに暗殺術を教えたりはしないが、遊びの一環──をちょっとだいぶ逸脱する程度には子どもたちに体術や剣術を仕込んでいる。
「えー・・・」
珍しく不服そうな声を上げる夫に、内心で「珍しい」と思ったシェラだった。
いつもならば、どんなことでも二つ返事で頷くというのに。
「やってやればいいだろう」
「ではお前がやるか──相手は四人いっぺんだが?」
「・・・・・・」
ジト、と恨みがましい視線を向けてくる夫からそっと視線を逸したシェラは、子どもたちを手招きした。
嬉しそうにシェラの周りに集まった子どもたちをクルッと反転させる。
「みんな良かったねパパが遊んでくれるって!!」
「お」
「「「「きゃあ!!」」」」
ヴァンツァーの抗議の声は、子どもたちの歓声にかき消された。
「・・・プロテクターをつけなさい」
それが条件だ、と言われた子どもたちは、こくこく頷いて子ども部屋へと飛んでいった。
「シェラ」
「何だ」
「文句を言うなよ」
「は? 何がだ」
重い腰を上げたヴァンツァーは、とても真剣な表情で言った。
「──手加減は出来んぞ」
まさかそんな──と笑い飛ばせないほど、静かな表情だった。
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週末に続き書けるかなぁ?
あー、休みって素晴らしい。
本日、お休み4日目です。あと半分あります。
初日はプリンを焼き、二日目は親戚の家に仕事の手伝いをしに行き、昨日はのんびりして今日は朝から大量の餃子を作りました。200gしかお肉使ってないのに、野菜いっぱい入れたら50個くらいできた。
あとはどこかで、会社の部下に受講してもらっているHTMLのオンデマンド講座をちょこっと眺めて、アドバイス出来るようにしようかなぁ、と思います。
さて、友人と約束していた小ネタをば。ちょっと遅くなっちゃってごめんよ!
本日、お休み4日目です。あと半分あります。
初日はプリンを焼き、二日目は親戚の家に仕事の手伝いをしに行き、昨日はのんびりして今日は朝から大量の餃子を作りました。200gしかお肉使ってないのに、野菜いっぱい入れたら50個くらいできた。
あとはどこかで、会社の部下に受講してもらっているHTMLのオンデマンド講座をちょこっと眺めて、アドバイス出来るようにしようかなぁ、と思います。
さて、友人と約束していた小ネタをば。ちょっと遅くなっちゃってごめんよ!
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「あーあ、大人げない・・・」
立ち上がる気力もないのだろう、地に伏している黒髪の青年は、その肩と背中を大きく上下させている。
それでも、手にした剣をグッと握っているところがいじらしい。
「ふん。まだまだだな」
副官の言葉に鼻を鳴らした偉丈夫は、尊大な様子で胸を反らしているが、全身汗塗れだ。
それでも、某伯爵令嬢の言葉ではないが、護るべき相手に剣で負けるなどあってはならない──王太子は例外だ、あれは規格外中の規格外だ、というのが近衛騎士団長の言だった。
「殿下、立てますか?」
ガキ大将のような団長に呆れた視線を向けた副官は、土と砂で白っぽくなった黒衣の青年を、ゆっくりと抱え起こした。
体重は以前とさして変わらないだろうが、体格はまったく別人と思うほどに変わった。
がっしりと広い肩、硬い腕、身体の厚みは半分くらいで、贅肉などどこにもない。
「・・・アス、ティ──けほっ」
「水です。飲んでください」
水筒を手渡せば、素直に頷いてコクコクと飲み干していく。
「俺には」
「あなたは自分で動けるでしょう」
「差別だ」
「区別です」
馬鹿なことを言って張り合ってくる団長を一瞥もすることなく、「ゆっくり飲んでください」と背中を撫でる。
「・・・大丈夫。ありがとう」
その言葉に嘘はないようで、呼吸は落ち着いている。
訓練用の剣を地面に突き立て、少しふらつきながらも立ち上がったこの国の第二王子は、腕組みをしている偉そうな男に一礼をした。
「ありがとうございました」
「いつでも受けて立つぞ」
その言葉にもぺこり、と頭を下げて、王子は訓練場をあとにした。
+++++
あまりにも汚れすぎていてそのまま自室に帰ることが躊躇われ、王子は周りに人目がないのを確認して水の精霊を喚んだ。
頭から足の先までびしょ濡れになったが、火照った身体には心地よかった。
軽い擦過傷は、ついでとばかりに水の精霊が癒やしてくれた。
「ありがとう」
有り余っている魔力のほんの一欠片を精霊たちに分けてやれば、嬉しそうに還っていく。
マメが潰れた手を見て、魔法ならばいくら使っても疲れないのにな、と嘆息した。
「水も滴るなんとやらだな」
唐突に声が掛けられて、王子は肩を跳ねさせた。
けれど、知った声だったのでその美貌に笑みを浮かべた。
「──兄上!」
自分が知る男の中で、文句なしに一番かっこいいと思う兄の登場に、王子は仔犬のように駆け出した。
ほとんど意識することもなく火と風の精霊を喚び、全身を乾かしてもらう。
第二王子はその髪があまりにも真っ黒だから忌避されているが、類稀な美貌の主という意味ではよく似た兄弟であった。
弟は、ここ数年関わることが増えた兄のことが大好きだった。
王太子に恋をしない女はいないと言われる優れた容姿、国一番の剣の使い手とされる鍛えられた長身、政務も外交も涼しい顔でこなす頭脳、公正な瞳は光の加減で金色にも見える琥珀色。
「うわっ!」
「──おっと」
足がもつれて転びそうになったが、危なげなく抱きとめてくれる腕には頼もしさしか感じない。
「大丈夫か?」
「はい。さっきまで団長と稽古していたので、思ったよりも足が動かなかったようです」
「あぁ。それで水浴びしてたのか」
触れている服も、そっと撫でてやった髪もすっかり乾いている。
「どうだい、デートは近付いたか?」
ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべても魅力的な兄の言葉に、弟王子は思わずしゅんとなった。
「・・・団長は、力でゴリ押ししてきます」
「だな」
「剣筋は見えます。次にどう動くかも読めます──でも、ものすごく一撃が重いんです」
王太子には敵わないものの、近衛のトップを任されるくらいであるからその強さは誰もが認めるところだ。
「見えたところで、重すぎて打ち合えない。流そうとしても、そのまま押し切られることが多くて」
「最近、女王にも稽古つけてもらってるんだろう?」
王太子と王太子妃は、その出逢いが少々特殊であったことから、互いを『女王』『海賊』と呼び合う。
夫婦喧嘩は殴り合いに発展することさえあるが、仲が良くていいなぁ、と王子は兄夫婦を羨ましく思っていた。
「はい。義姉上の剣も重いですが、片手剣ですし、槍術が得意だから剣でも突きを多用してきます。手数が多いのでさばくのは大変ですが、何というか・・・動きはとても素直です」
「──ぶはっ」
思わず吹き出した兄の様子に首を傾げた弟王子であったが、「続けな」と言われて頷いた。
「団長のように、起こるはずの結果と違うというのは、他の人だとほとんどなくて」
「ふぅん。なるほどな」
「兄上?」
王太子の方が少し背が高く、兄は視線を上げて見つめてくる弟の髪を、ワッシワッシと撫でた。
「明日、半刻くらいなら時間が取れる」
「はい・・・?」
「俺も訓練に混ぜてくれ」
「──本当ですか?!」
ぱぁぁぁぁっ! と藍色の瞳が輝く。
兄が戦の天才だという話はいくらでも聞くが、実のところ手合わせをしたことは一度もない。
自分と違ってあまりにも多忙な兄を煩わせるのも気が引けて、でも、誰よりも強い男になれれば少しは興味を持ってもらえるのではないかと、デートの条件を兄に話した。
一瞬ぽかん、とした顔をされて、やはり無理かとしょんぼりしたが、やさしい兄は笑って請け負ってくれた。
「頑張ります!」
そのときと同じ言葉を返してくる弟王子の眩しいほどの笑顔に周りの緑が濃くなった気がして、王太子はもう一度眼の前にある頭を撫でた。
+++++
──そして、黒髪の王子は今日も地に伏している。
兄が天才だと言われる理由が、少し分かった気がした王子だった。
最初は、アスティンの剣に似ていると思った。
剛の剣ではなく、柔の剣。
無理に押してくることはなく、型に沿った生真面目な剣だ。
けれど、それであれば勝ち目もある──そう思っていたのだが。
「ははっ。本当に近衛並みに強いんだな」
笑った兄の剣が急に重くなって、「え?」と思ったときには柄から手が離れた。
すぐに拾って打ち込めば、これまでとは別ものの、強く鋭い剣で受けられる。
隣国から嫁いできた女傑は王子と変わらないほど背が高く、兄曰く丸々としていた頃ですら王子の方が体重が軽く、近衛の騎士たちが「え? あなたも護衛必要ですか?」と呆れるほどに強い。
義姉上の剣、と気付いたときには腰のベルトの金具の上を突かれて背中から倒れた。
頭が混乱したが、それでもほとんど無意識に剣を拾い、構える。
「お前、すごいな」
「・・・ありがとうございます」
ひと太刀も入れられないのになぜ褒められたのかは分からないが、王子はぐっと表情を引き締めた。
王太子の全身からは力が抜けているようなのに、こちらから仕掛ければ即座に反応される。
手数を増やして隙を作ろうとしても涼しい顔で受けられ、ほんの少しでも剣先をずらせれば、と思っても力で戻される。
そう、団長の剣がこんな感じだ。
脇腹を強かに打たれた瞬間、突風が吹いた。
春の嵐のようなそれに、固唾を呑んで兄弟王子のやり取りを見ていた騎士たちもよろめく。
「・・・すみません」
第二王子の感じた痛みか動揺が起こしたのだろう、と皆気付いた。
剣の訓練をしているとき、意図的に魔力を使うことはしていない。
けれど、今のように不可抗力で発動してしまうことは時々ある。
「もう一度、お願いします」
顎に伝う汗を袖で拭いながら、王子は王太子へ向かっていった。
勝つビジョンはまったく見えない。
それどころか、太刀筋すらも定まらない。
誰かの剣に似ていると思ったら型が変わり、反応出来るようになる前に別人の太刀筋になる。
──遊ばれている。
そう思ったら悔しくて、第二王子は持てる最大限の速度でがむしゃらに、ひたすら打ち込んだ。
「そうだ! もっと打って来い!」
返事なんてしている余裕はなくて、だから王子は剣で返した。
唐竹、袈裟斬り、左袈裟、逆袈裟、右薙、左薙。
訓練用に刃を潰しているが、鉄の塊だ。
それを木刀のように片手で扱う王子たち。
「うちの王子様方は、とんでもないですね・・・」
ボソッ、と副官が呟くのに、団長は「ふん」と鼻を鳴らすだけに止めた。
王太子が鬼のように強いのは皆知っている。
一騎当千とはあの方のためにある言葉だ、と言われるほどだ。
第二王子とて近衛騎士に混じって訓練をしているから、瞬く間に副官と互角にやりあえるほどになったことは分かっている。
分かってはいるが、王族警護を主な任務とする生え抜きの騎士たちが、剣を持ってたった3年の青年に負ける──誰もがあり得ないと思うだろうが、この光景を見ても同じことを言えるものはいないに違いない。
「・・・しかも、だんだん動きが良くなってませんか?」
誰、とは言わずとも分かる、弟王子だ。
息は上がっているし、時々足ももつれそうになっている。
それでも、いつもぽやっとしているのが信じられないほど眼光は鋭く、王太子がほんの一瞬でも隙を見せないか、虎視眈々と狙っている。
王太子の方はまだまだ余裕で、弟が次にどこへ打ち込んでくるのか分かっているように、危なげなく剣を合わせていく。
「──そろそろ時間だぜ、っと!」
「うあっ!」
当たれば確実に骨が砕けるほどの力で袈裟懸けに振り下ろした刃は、王太子の剣が触れるか触れないかで弾かれたように見えた。
取り落とすまいと握りしめていたため、第二王子は弾かれる剣に腕を持っていかれ、背中から地面に落ちた。
身体を固くして勝敗の行方を見ていた騎士たちは、何が起きたのか分からなかった。
「見えましたか?」
「見えんな」
副官が団長に問いかけるも、そんな返事しか返ってこない。
当事者たちはと言うと、王太子はほんの少し息を見出しているが、それだけ。
第二王子は大の字に倒れたまま、荒い呼吸が収まらないようだ。
「バルロ、あんたあと半年くらいしたらヤバそうだな」
「まだまだ──と言いたいところですが・・・あまり殿下に稽古をつけんでください」
近衛騎士団長の言葉に王太子は鷹揚に笑い、副官は瞠目した。
負けず嫌いの団長が、第二王子に負ける未来を見たのだ。
「起きられるか?」
王太子が手を伸ばせば、ぐったり横たわっていた第二王子は目を開けたものの、その手を掴もうとして──全然腕が上がらなくて諦めた。
だから、王太子自ら膝をつき、背中と肩を支えて抱き起こしてやった。
「まだ身体がついて来ないんだな」
「あなたには大抵の人間がついていけないと思いますが」
そういう意味でないのは分かっているだろうに、団長はムスッとした顔でそんなことを言った。
「・・・身体が、ついていっても・・・あれは、防げない、気がします」
肩を上下させながらの言葉に、王太子は面白がるような顔つきになった。
「見えたか?」
「見えたところで、結果は同じです」
「いや、そもそも見えるのがすごいって話だ」
「──え?」
弟の訝る視線を受け、王太子は周囲に居並ぶ騎士たちに、なぜ第二王子の剣が弾かれたのか訊ねた。
誰も──副官や団長ですら、答えられなかった。
「お前には見えたんだろう?」
「もちろん」
「何で弾かれた?」
どうして兄上はこんなことを訊くのだろう? と不思議に思ったが、第二王子は呼吸を整えて目にしたままを答えた。
「切っ先をエッジに当てられたからです」
ザワリ、と声が上がる。
まさか、さすがにそれは、いやしかし。
王太子の剣技を知る近衛の騎士たちであったが、周りの同僚と「出来るか?」「馬鹿言え」などと言葉を交わしている。
「・・・剣の腹で押し返されたのではなく?」
「たぶん、それならもう少し堪えられた」
副官の言葉に、第二王子は首を振った。
「振り下ろす勢いが強かったから、弾かれる反動も大きかったんじゃないかと」
思います、と言おうとした弟の黒髪を、王太子はぐしゃぐしゃになるほど撫でまくった。
ふわりと暖かな風が吹いて、まだ芽吹くには早い花がいくつか開いた。
「お前は目がいい」
弟の形の良い頭に両手を添えるようにして、王太子は笑った。
「頭もいい。剣を交える相手の癖を見抜いて、どうすれば効率的に無力化出来るか考えられる」
でもな、と続けられる兄の言葉に、第二王子は真剣な表情を向けた。
「頭で考えてたら、遅いんだ」
「遅い・・・」
「さっきのは、どうやって対処したら良かったと思う?」
少し考える顔つきになった第二王子は、ふ、と顔を上げた。
「エッジではなく、剣の腹を当てていたら違ったと思います」
「あぁ、いいな。それなら、あの動作から最小限の動きだ」
当たる面が大きくなれば、競り勝てたかも知れない。
「ただ、分かっていてもあの一瞬でその判断は下せません」
「それが出来るようになったら、俺に勝てるぜ?」
「・・・・・・」
にっこりと笑みを浮かべてくる兄に、弟はものすごく複雑な表情になった。
『万能の天才』と言われる兄は、剣技ですら様々な型を身につけていることが分かった。
遊ばれていたというより、指導をしてくれたのだと今であれば理解できるが、どんな型で来るのか分からないと動きを読みきれない。
「兄上すごいなぁ」と誇らしくなる一方、「何でこのひとから一本取るなんて言っちゃったんだろう」と後悔もしていた。
へにょり、と第二王子の美貌が情けなく歪んだ途端、雲が出て日が陰る。
「そんな顔すんなって。頭で考えなくても身体が動くようになったら、団長なんて秒殺だぜ?」
「秒ということはないでしょう。あなた相手でも1分くらいはもちます」
第二王子は愕然となった。
「・・・1分しかもたないのですか?」
「おい」
「ぶっ」
団長が鬼のような形相になるのと、その副官が思わず吹き出したのは同時だった。
「わたしは、まだまだ団長に及びません。兄上は、その団長を1分とかからず倒してしまうのですか?」
「そうだなぁ」
のんびりした様子で答える王太子だったが、物騒なことを言うなら、殺しても良いのならもっと早く終わる。
全力を出しても訓練の域を出ないのなら、そのくらいの時間になるだろう。
「・・・そうですか」
俯いた王子の様子に、一瞬諦めるのか、と思った王太子であったが。
「──団長に勝つまで、お菓子食べません!!」
ぐっと拳を握って気合をいれた第二王子の宣言に、騎士たちからは「おおー!」と歓声が上がった。
以前とは比べ物にならないほどに引き締まった身体になった王子であったが、今でもお菓子は大好きだ。
けれど、今回はそれくらい本気だということなのだろう。
騎士たちの間から「がんばれー」「やっちまえー」「俺たちの分もー」といった野次が飛ぶと、団長は獰猛な虎のような顔つきになり、副官はとある女性を思って苦笑した。
──殿下がお菓子を召し上がらないなんて・・・。
近衛騎士たちの間では王太子妃と並んで物騒だと言われる見た目天使な淑女は、翌日、武装した屈強な男たちに囲まれるよりもよほど恐ろしい思いをするのだった。
**********
兄上最強。
書くぞー。
**********
──冗談の、つもりだった。
「嘘は禁止」と言った手前、自分も吐くつもりはなかったけれど。
「食べたいものある?」
料理上手な恋人は、和洋中何を作らせても美味い。
品数も多くて、一人暮らしだったのにそんなに作るのか聞いたら、「副菜は多めに作って冷凍しちゃう」と返ってきた。
自分で作るとしたらパスタを茹でるくらいしかしない身としては、あっという間に何品も出てくるのが魔法みたいに思えた。
「その日はお休みだから、何でも作っちゃうよ!」
再会した頃には、高校の教員ではなく塾の講師をしていた。
個別指導の塾だと聞いて辞めさせようかと思ったが、「今は小学生も大変だよね」と笑って言うので、続けさせてもいいかな、と思い直した。
「──あ、でも、外食の方がいいかな?」
不安そうな顔で、そんなことを訊いてくるから。
「猫耳メイドなあなたを食べたいかな」
そう、返した。
真っ赤な顔になって、「そういうことじゃない!」と怒られた。
「まだちょっと肌寒いから、シチューが食べたいな」
赤ワインと牛バラ肉で作るトロトロのシチューは絶品だ。
贅沢に、それをオムライスにかけて食べたりするとため息しか出て来ない。
店でも開けばいいのに、と頭の片隅で考えて──でも、この味を独り占め出来る幸福は手放せそうになかった。
「・・・シチューだと、寝かせた方が美味しいけど」
「いいよ。たくさん作って、余ったら週末はオムライスにして」
だから、そっちもリクエストしておいた。
予定よりも30分ほど事務所を出るのが遅くなって連絡を入れたら、「大丈夫だから気をつけて帰ってきてね」と言われて、あぁ、帰る場所があるんだ、と頬が緩んだ。
「──悪い、シェラ。本当はもっと」
玄関に入って革靴を脱ぎながら謝ると、ダイニングへ続くドアが開く気配がした。
「はや、く──」
振り返ったら、あちこちに視線を彷徨わせている銀髪の黒猫がいた。
「お・・・おか、えり」
モジモジと手足を擦り合わせているのを見て、とりあえず鞄を放り出した。
「ヴァン──」
思い切り抱きしめて、びっくりしている顔を両手で上向かせて、開きっぱなしの口にキスをした。
「このまま押し倒してもいいってこと?」
「ちがっ!」
「でも、こんな可愛い格好をしているあなたがいけないと思うよ」
「それは・・・ご、ご飯食べたら!」
腕の中から逃げられたと思ったら、鞄を拾いに行って、胸の前で抱えている。
そんな弱いバリケードは簡単に崩せるけれど、空腹なのも確かだったので「わかりました」と頷いた。
「──うわ」
ダイニングへ続くドアを開けて思わず声が出たのは、見慣れているはずのテーブルが様変わりしていたからだ。
白いクロスが掛けられ、真ん中にはこんもりと花が飾られている。
整然と並べられたカトラリー、ガラス皿の上に置かれたナフキン。
「レストランみたいだな」
「ふふ、見た目だけね」
着替えてきて、と言われたけれど、これはノージャケットで座っていい席だとは思えない。
そう告げたら、菫色の瞳が丸くなって、すぐに嬉しそうに細められた。
「じゃあ、シャンパン開けてもらってもいい? 前菜用意するから」
「え、全部一緒に出していいよ」
「気分、気分! そんなに何皿も出ないから大丈夫」
少し申し訳なく思ったけれど、きっと色々考えてくれたんだろうと思って、素直に従うことにした。
再会したときには成人していたから、飲酒が出来る年齢だった。
それを知ったシェラは、感慨深そうな顔をしていた。
「はい、まずは前菜」
「すご・・・」
真っ白い皿の上には、ちいさめに切られたキッシュ、スモークサーモン、白身魚のエスカベッシュ、色とりどりのプチトマトが半分に切られて飾られている。
「お野菜いっぱいだよー」
キッシュの中はたっぷりのほうれん草とベーコン、エスカベッシュは赤と黄色のパプリカ、細切りの人参、玉ねぎが入っている。
好き嫌いはさほどないけれど、野菜や魚よりも肉を食べがちなので、こういう気遣いはありがたい。
「「──乾杯」」
フルートグラスに注いだ黄金色のシャンパンで、喉を潤す。
しゅわり、と舌と喉をくすぐっていく細かな泡の感触が楽しい。
目の前に並んだ料理は見た目も美しく、ここが自宅だということを忘れそうになるが──。
「──ぷっ」
「え、何で笑った?」
「いや、だって、こんな完璧な食卓で、あなた猫耳」
「だっ! そ、それはヴァンツァーが!」
「うん。めちゃくちゃ可愛い」
「~~~~っ!」
黒い猫耳に、黒い膝丈ワンピースドレスに白いエプロン。
銀色の髪は給仕の邪魔にならないようにか、緩く編まれている。
「いただきます」
「・・・召し上がれ」
まずはキッシュ。
タルトではなく、パイ生地のようだ。
アパレイユの部分はやわらかく、パイにはサックリとナイフが入っていく。
「このベーコン美味い」
「パンチェッタだよ」
「パンチェッタ?」
「塩漬けの豚肉。生ベーコンだね」
「ベーコンってスモークしないのもあるんだ」
「これ入れたペペロンチーノが絶品」
「作って」
「はいはい」
食いしん坊さんめ、とくすくす笑われた。
正直、食べることにはあまり興味がない。
ただ、この人の作るものは美味い。
「スモークサーモンって、こんな味濃いっけ?」
「あぁ、鮭のスモークサーモン美味しいよね」
「鮭の、スモークサーモン・・・?」
「マスで作ったスモークサーモンより、私は鮭で作ったやつの方が好きかな」
「・・・鮭じゃないのもあるの?」
「あるよ?」
不思議そうな顔をされて、料理の奥深さを知った。
「うま」
「ふふ、きみ、酸味の強い味好きだよね」
白身魚を揚げ焼きにして、その油で薄切りにした野菜を炒めてビネガーを加えるらしい。
熱いままのビネガーを魚にかけてマリネにするだけの簡単な料理だ、と言うが、ワイングラスに伸びる手が止まらない。
「お酒強いよね」
「そうか?」
「未成年のうちから飲んだりは・・・」
「してませんよ。煙草も、もうやめたし」
「偉い、偉い」
そんな話をしていたら、オーブンが鳴った。
「さぁ、次はグラタンだよ」
ちいさめのココットで、チーズとソースがグツグツいっている。
ホタテとエビは入っているが、マカロニはなかった。
でも、ソースを食べる感じのこれは、結構好きだ。
「ホワイトソースが家で作れるなんて、あなたのを食べるまで知らなかったな」
「きみはチーズも好きだよね。ピザとか」
「あなたの作るものは何でも」
「・・・もう」
ちょっと赤くなっているのは、きっとワインのせいではないだろう。
「お待ちかねのシチューだよ。バゲットと一緒にどうぞ」
ゴロゴロした肉と、人参、じゃがいも。
玉ねぎも四分の一くらいの大きさで、でもトロトロしている。
「赤ワインも開ける?」
「うん」
そう高いものではないけれど、シチューを煮込むときに使ったのと同じものだという。
料理にワインを使う場合、それを味わうときに同じワインを飲むのが贅沢らしい。
「まずいな・・・」
「──え?! 美味しくなかった?!」
愕然とした顔になるシェラに、「違う」と謝った。
「やばいな、ってこと」
「何で?」
「俺、もう一生外食しなくていいかな、って」
真面目に言ったのに、思い切り笑われた。
「作りがいがあるなぁ」
「でもあなたの負担が増えるのは良くない」
「たくさん作るのは休みの日とか、特別な日じゃないと無理だけど、料理は好きだから負担じゃないよ」
皿まで舐める勢いでシチューを平らげた。
食べる様子をにこにこと眺められて、さすがに少し気恥ずかしくなったけれど、手は止められなかった。
「デザートも作ったんだ」
ケーキはいらないと言ったからだろう。
無理はしなくていいからね、と出されたのはグラタンに使ったのと同じココットで、中身はその倍くらいの高さに膨らんでいる。
「スフレ・オ・フロマージュ。チーズのスフレであんまり甘くないから、食べられそうなら食べてみて」
きつね色の表面にスプーンを入れると、サクッと軽い感触がした。
すくい上げた中身は火が入っているのにトロッとしていて、チーズとほんのすこし甘い香りがした。
「──美味い」
「ほんと?!」
きゃー、と手を打ち合わせて喜んだシェラは、グラスにスパークリングワインを注いでくれた。
「辛口の白ワインとかスパークリングワインと合うと思うんだ」
ワインを飲んで見ると、焼きたてのスフレの熱さが緩和されて、またスフレに手が伸びる。
あっという間に完食するのを、シェラは感動したような目で見てくる。
「良かったぁ・・・誕生日は、やっぱりケーキが欲しいと思うんだ」
お互い、あまり幸福な幼少期ではなかったから、祝い事には縁がない。
「これなら毎日でも食べたい」
素直にそう言ったら、目を丸くしたあと嬉しそうに笑った。
「・・・でも、誕生日プレゼント買ってないんだ。きみ、何もいらないって言うから」
「うん」
「私にはいっぱいくれようとするのに、そういうの良くないと思う!」
ふんすっ、と鼻息を荒くする様子に、ちょっと笑ってしまった。
「じゃあ、お願いがあるんだけど」
「──うん!」
「これ、つけてくれる?」
差し出した箱を、怪訝そうな顔で見るから、蓋を開けてやった。
菫色の瞳がまん丸になる。
「ちなみに、お揃い」
自分の分をコトリ、とテーブルの上に置いたら、飛び上がらんばかりに驚かれた。
「上司には言ってある。結婚はできないけど、そういう相手がいるから職場でつけてもいいか、って」
ダメだと言われたら、そんな事務所は辞めてやるつもりだったが。
理解を得られたので、仕方ないからまだこき使われてやろうかと思う。
「これ・・・」
「つけてくれますか?」
「これ・・・きみへのプレゼントになるの?」
「ならないと思うの?」
「もらうの、私だし」
「俺ももらうよ──あなたのこと」
つけていい? と訊ねれば、潤んだ瞳でこくこく頷いて、「つけて」と言ってきた。
まぁ、断られるなんて微塵も思っていなかったけれど。
「それじゃあ、これからもよろしく」
「・・・こんな格好ですが、よろしくお願いします」
「最高に可愛いですよ」
あとで写真撮らせてね、と言ってキスをした。
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