小ネタや更新記録など。妄想の赴くままに・・・
えーっと、昨日書いたのは、ヘタレ王子が魔王様になるところまでですよね(笑)
義仲との戦いの中。止めをさされそうになった義経は、封印していた百鬼を目覚めさせる。泣き虫義経とは似ても似つかない、昏く、力強い声音の鬼。この芝居で『鬼』はとても重要な役割があり、『鬼の力を受け継ぐ者ノ不が、乱れた世を平定する』みたいな言い伝えがあるんですよ。義仲は、その鬼神のごとき強さから『鬼の義仲』と呼ばれ、自らも鬼のチカラを持っていると言っていたわけですが、実際は義経にそのチカラがあった。
鬼のチカラを解放した義経は、凄まじく強い。義仲の者ノ不としてのチカラは『先眼』といい、ほんの一瞬だけれども、相手の動きが見えるチカラ。相手がどう動くかが分かるので、それに対応さえ出来れば負けることはない。義仲が強い理由はそんなところにあるわけで・・・でも、百鬼を覚醒させた義経は、それ以上の速さで動くことが出来る。いかに動くを予測出来ても、対応出来ないのではどうしようもない。今度はほとんど一方的に義仲が押されて行く。
そんなとき、一瞬義経の意識が百鬼を抑えこむ。蹲り、荒い呼吸の中から義仲に「逃げろ!」と叫ぶ。大切な友を失いたくはない、けれど、百鬼の力が暴走してしまえば自分に止めることは出来ない。身の内で暴れるチカラに必死に抵抗する義経に、義仲は告げる。
「義経の中の鬼よ・・・義経を頼む」
そのチカラで、腐ったこの世の中を正してくれ、と義経に切りかかっていった義仲は、再度覚醒した百鬼に倒される。一瞬の暗転ののち、聴こえてきたのは「ぐすん、ぐすん」と泣きじゃくる息遣い。自分が傷つけた義仲を抱え起こし、「嫌だ、嫌だ」と泣いている義経の姿。「もうすぐ三郎たちが来るからな・・・そうしたら、傷を治してもらって、また前と同じように」と嗚咽を漏らす。
三郎というのは、癒しのチカラを持つ者ノ不で、のちの義経四天王と呼ばれる男のひとり。劇中、唯一破壊ではなく癒しのチカラを持つ三郎だが、そのチカラは万能ではない。彼ひとりで癒せる人数などたかが知れているし、死んでしまったものを生き返らせることは出来ない。
駆けつけた弁慶や三郎の姿を見つけた義経は、「義仲、もう大丈夫だからな・・・すぐ、三郎に治してもらおう」と虫の息の義仲に話しかける。躊躇う三郎に、「早くしてくれ、血が止まらないんだ!!」と叫ぶが、三郎は首を振る。もう、すでに義仲は息を引き取っていた。
きっと、助けられるチカラがあるのに、助けられないというのは酷い絶望なのだと思う。助けられたかも知れないのに、大切な友人を助けられなかった。三郎の苦悩はとても深い。人とは違うチカラを持っていても、決してそれは万能ではなく、護るために使えない大きすぎるチカラは、哀しみしか生まない。
ガッくんの舞台やコンサートはいつも、この言葉で締めくくられる。
──いつか争いのない世の中になることを、心から願う
カーテンコール・・・とはいえ、ガッくんの舞台の場合それも芝居の一部なのだけれど、役者たちがその役として舞台に再登場し、ハケたあと、また幕が開いた。珍しいな、と思っていると・・・そこには、義仲と巴が北陸回りで進軍する前、彼らが開いた酒宴の様子が蘇っていた。義仲も、巴も、陰も生きていて、酒を酌み交わす。
劇中一度観た場面だけれど、ほんの少し違っている部分があった。巴が義経に「あれやってよ」と促す。「・・・やだよ」とそっぽを向く義経だったが、また促されて渋々承諾する。そして、きっと彼らの間で取り交わされている約束なのだろう台詞を口にする。正確には覚えてないし、最後の部分しか思い出せないんだけど・・・
──我ら、同年同月、同じ日に生まれることは叶わずとも
──同年同月、同じ日に死ぬことを望む
生まれるときはひとりでも、人は決してひとりではないのだ、と。手を取り、信じあえる仲間がいる。それが何よりの力になるのだ、と。ほろりときましたね。
明日をも知れぬ戦乱の世に、生まれ、生きた物ノ怪や者ノ不たちは裏切りなど無縁の固い友情で結ばれていて。己の欲望のために義仲を裏切った頼朝がすごく醜悪に思えて。でも、弟の義経に対する愛情は本物であったろうし、源氏のため、という思いもとても強かったのだろうと思うし、単純な善悪だけではないんですよねぇ・・・でも、義経がどんどん力をつけて平家を討ち滅ぼすと、今度は義経を討て、という意識に変わってしまって・・・哀しいなぁ。
そして、なんと今回のは『義経秘伝~木曾義仲編~』だったそうで、スクリーンに『続』の文字が見えて笑ってしまいました。そうかー、じゃあ次はヘタレじゃない義経が見られるのかなー? 義経って、女性説があったり、大陸に渡ってチンギス・ハーンになったとかっていう逸話もあったり、その死には謎が多いですからね。でも、ガッくん舞台もう1本作る時間あるのかなぁ? 『続』と言うからには1年以内にはやらないと、意識が切れてしまう気がします。まぁ、DVD出るんだろうけど(笑)陰を見るために、DVD買うと思います。
さて、スタッフ系について。
音楽はYFCのメンバー(チャチャと、YOU君とタクミ君)が作ってるからとても美しいです。音響がデカすぎて台詞が聞き取れないのは問題だけどな(笑)確かに、台詞のところだけ音量下げるのは私も大嫌いなんだが、それを踏まえてのレベル取りをしないとね。
大道具は、この前ニコ生で見たけど、大変だったらしいね。グレーだった階段を赤に塗り直したり。ひと晩で(笑)LEDに仕込む映像も、映るのは一部分なのに、360度作りこんでたり。ガッくんが「馬鹿じゃないの?!」ってすごい喜んでた。スタッフも最高のものを創ろうっていう意識があるのって、いいよね。
また、その階段の1段がすごく高い。尺あるんじゃないかな。膝近くまで高さがある階段。そこで殺陣を披露したりするわけさ。かなり大変だったと思うよ。階段に座ったりもするから、1段を高くすることで表現の幅は広がるんだろうけど、幕が開いて階段みた瞬間、「・・・ここで演技するのかよ・・・」ってびっくりしました。あれは、役者さん相当大変だったと思うよ。
演技だけでなく、映像や音だけでなく、何というか、総合美術としての舞台を見た感じですかね。手をいれる部分はいくらでもあるんだろうけど、そのチャレンジ精神に乾杯です。
劇場から出たあと、後ろを歩いていたカップルの女性の方が、「早乙女太一仕事選べ・・・GACKTはどこに行きたいんだろう・・・」と文句言っているのを聴いて、「余計なお世話だよ」と友人とふたりで思いました(笑)
以上!
鬼のチカラを解放した義経は、凄まじく強い。義仲の者ノ不としてのチカラは『先眼』といい、ほんの一瞬だけれども、相手の動きが見えるチカラ。相手がどう動くかが分かるので、それに対応さえ出来れば負けることはない。義仲が強い理由はそんなところにあるわけで・・・でも、百鬼を覚醒させた義経は、それ以上の速さで動くことが出来る。いかに動くを予測出来ても、対応出来ないのではどうしようもない。今度はほとんど一方的に義仲が押されて行く。
そんなとき、一瞬義経の意識が百鬼を抑えこむ。蹲り、荒い呼吸の中から義仲に「逃げろ!」と叫ぶ。大切な友を失いたくはない、けれど、百鬼の力が暴走してしまえば自分に止めることは出来ない。身の内で暴れるチカラに必死に抵抗する義経に、義仲は告げる。
「義経の中の鬼よ・・・義経を頼む」
そのチカラで、腐ったこの世の中を正してくれ、と義経に切りかかっていった義仲は、再度覚醒した百鬼に倒される。一瞬の暗転ののち、聴こえてきたのは「ぐすん、ぐすん」と泣きじゃくる息遣い。自分が傷つけた義仲を抱え起こし、「嫌だ、嫌だ」と泣いている義経の姿。「もうすぐ三郎たちが来るからな・・・そうしたら、傷を治してもらって、また前と同じように」と嗚咽を漏らす。
三郎というのは、癒しのチカラを持つ者ノ不で、のちの義経四天王と呼ばれる男のひとり。劇中、唯一破壊ではなく癒しのチカラを持つ三郎だが、そのチカラは万能ではない。彼ひとりで癒せる人数などたかが知れているし、死んでしまったものを生き返らせることは出来ない。
駆けつけた弁慶や三郎の姿を見つけた義経は、「義仲、もう大丈夫だからな・・・すぐ、三郎に治してもらおう」と虫の息の義仲に話しかける。躊躇う三郎に、「早くしてくれ、血が止まらないんだ!!」と叫ぶが、三郎は首を振る。もう、すでに義仲は息を引き取っていた。
きっと、助けられるチカラがあるのに、助けられないというのは酷い絶望なのだと思う。助けられたかも知れないのに、大切な友人を助けられなかった。三郎の苦悩はとても深い。人とは違うチカラを持っていても、決してそれは万能ではなく、護るために使えない大きすぎるチカラは、哀しみしか生まない。
ガッくんの舞台やコンサートはいつも、この言葉で締めくくられる。
──いつか争いのない世の中になることを、心から願う
カーテンコール・・・とはいえ、ガッくんの舞台の場合それも芝居の一部なのだけれど、役者たちがその役として舞台に再登場し、ハケたあと、また幕が開いた。珍しいな、と思っていると・・・そこには、義仲と巴が北陸回りで進軍する前、彼らが開いた酒宴の様子が蘇っていた。義仲も、巴も、陰も生きていて、酒を酌み交わす。
劇中一度観た場面だけれど、ほんの少し違っている部分があった。巴が義経に「あれやってよ」と促す。「・・・やだよ」とそっぽを向く義経だったが、また促されて渋々承諾する。そして、きっと彼らの間で取り交わされている約束なのだろう台詞を口にする。正確には覚えてないし、最後の部分しか思い出せないんだけど・・・
──我ら、同年同月、同じ日に生まれることは叶わずとも
──同年同月、同じ日に死ぬことを望む
生まれるときはひとりでも、人は決してひとりではないのだ、と。手を取り、信じあえる仲間がいる。それが何よりの力になるのだ、と。ほろりときましたね。
明日をも知れぬ戦乱の世に、生まれ、生きた物ノ怪や者ノ不たちは裏切りなど無縁の固い友情で結ばれていて。己の欲望のために義仲を裏切った頼朝がすごく醜悪に思えて。でも、弟の義経に対する愛情は本物であったろうし、源氏のため、という思いもとても強かったのだろうと思うし、単純な善悪だけではないんですよねぇ・・・でも、義経がどんどん力をつけて平家を討ち滅ぼすと、今度は義経を討て、という意識に変わってしまって・・・哀しいなぁ。
そして、なんと今回のは『義経秘伝~木曾義仲編~』だったそうで、スクリーンに『続』の文字が見えて笑ってしまいました。そうかー、じゃあ次はヘタレじゃない義経が見られるのかなー? 義経って、女性説があったり、大陸に渡ってチンギス・ハーンになったとかっていう逸話もあったり、その死には謎が多いですからね。でも、ガッくん舞台もう1本作る時間あるのかなぁ? 『続』と言うからには1年以内にはやらないと、意識が切れてしまう気がします。まぁ、DVD出るんだろうけど(笑)陰を見るために、DVD買うと思います。
さて、スタッフ系について。
音楽はYFCのメンバー(チャチャと、YOU君とタクミ君)が作ってるからとても美しいです。音響がデカすぎて台詞が聞き取れないのは問題だけどな(笑)確かに、台詞のところだけ音量下げるのは私も大嫌いなんだが、それを踏まえてのレベル取りをしないとね。
大道具は、この前ニコ生で見たけど、大変だったらしいね。グレーだった階段を赤に塗り直したり。ひと晩で(笑)LEDに仕込む映像も、映るのは一部分なのに、360度作りこんでたり。ガッくんが「馬鹿じゃないの?!」ってすごい喜んでた。スタッフも最高のものを創ろうっていう意識があるのって、いいよね。
また、その階段の1段がすごく高い。尺あるんじゃないかな。膝近くまで高さがある階段。そこで殺陣を披露したりするわけさ。かなり大変だったと思うよ。階段に座ったりもするから、1段を高くすることで表現の幅は広がるんだろうけど、幕が開いて階段みた瞬間、「・・・ここで演技するのかよ・・・」ってびっくりしました。あれは、役者さん相当大変だったと思うよ。
演技だけでなく、映像や音だけでなく、何というか、総合美術としての舞台を見た感じですかね。手をいれる部分はいくらでもあるんだろうけど、そのチャレンジ精神に乾杯です。
劇場から出たあと、後ろを歩いていたカップルの女性の方が、「早乙女太一仕事選べ・・・GACKTはどこに行きたいんだろう・・・」と文句言っているのを聴いて、「余計なお世話だよ」と友人とふたりで思いました(笑)
以上!
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