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何となくそんな気はしていたのだが、やはりファロット家に赴いたら『音楽鑑賞会』になってしまった。
ことの経緯を話したら、ソナタは納得したように頷いて「カノンはシェラ似だから」と呟いた。
当のシェラは音楽にあまり興味はないということだったが、身内に認定した人間が演奏するとなると別らしい。
冬に向けて編み物をしていた手を止めて、キニアンをホールへ促した。
「ストラディバリウスか」
「あ、はい・・・以前、父が使っていたものなんですけど」
休日は基本的に仕事禁止のヴァンツァーもいて、キニアンは何だか妙に緊張してしまった。
それというのも、ヴァンツァーはキニアンの父であるアルフレッドのファンだというのだ。
顔見知りでもあるという。
チェリストとして活躍していた頃、正確無比なその演奏技術は『神の右手』・『情緒ある精密機械』と呼ばれるほどのものだった。
その辺りが、ヴァンツァーの目に留まったのだろう。
そんな、無駄にこだわりの強いこの家の持ち主のおかげで、ファロット家の母屋の地下はちょっとしたホール並みの音響設備が整っている。
「何弾いてくれるの?」
わくわく、と書いた顔で訊いてきたのはシェラで、キニアンは軽く首を傾げた。
「何でもいいんですけど・・・カノン、速弾きが好きなんだろう?」
「うん」
「じゃあ、パガニーニ繋がりだな」
チェロを構えたキニアンに、ヴァンツァーは「音は?」と訊ねた。
それに首を振り、調弦を済ませる。
弓を構え、すっと表情を引き締める。
音が消え、空気が重くなる。
その空気中から音を取るように耳を澄ませ、──ひと呼吸。
──『ヴァイオリン独奏曲カプリース第24番』
その名の通りヴァイオリン曲だが、チェロやギターなどで演奏されることもある。
演奏開始早々クライマックスかのように弓が弦の上を飛び跳ねる。
左手の動きの速さもさることながら、弓の動きに目を奪われる。
なぜこの速度で演奏して音が当たるのか──絶対音感というものを目の当たりにさせられる。
「ピアノは専門じゃない」という本人の言葉通り、比較にもならない。
ピアノの『ラ・カンパネラ』も大概音が跳ぶが、本人が言うようにカノンでも分かるミスタッチはあった。
しかし、今は違う。
左手は1mmの狂いもなく音を捉え、どんなに速いパッセージの重音も、滝のように流れ落ちる左手のピチカートも、フォラジォレットも、難なく弾きこなす。
無愛想ではあるが、どちらかといえば『ぼんやり』している普段の彼からは想像も出来ないような超絶技巧だ。
まるで、何かが乗り移ったかのような演奏に、ファロット家の誰もが呼吸を忘れた。
演奏が終わり、弦から弓が離れる。
一瞬の静寂の後、ふぅ、とキニアンが息を吐き出したことで室内の緊張が緩み、まずヴァンツァーが手を叩いた。
次いで、シェラとソナタがほぼ同時に、そうして最後に、カノンが半ば放心した顔で拍手を贈ったのだ。
「すごーい! アー君、すごい!!」
「うっわー、やっぱ楽器出来る男って3割増だわ!」
すごいねー、すごいねー、とはしゃいでいる同じ顔をした親子。
鳴り止まない拍手に、キニアンは恐縮したように苦笑して頭を下げた。
「・・・こんな感じでいいか?」
若干不安気な顔になるところは、もういつものキニアンであった。
瞬きもしないで、パチ、パチ、と手を叩いているカノン。
「カノン?」
「──ふぇっ?!」
シェラに顔を覗き込まれ、妙な声を上げて椅子の上で飛び上がる。
「アー君が感想訊いてるよ?」
「とりあえず、弾いたけど?」
「あ、はい・・・上手でした」
これには片眉を持ち上げたキニアンだった。
ソナタも呆れたように嘆息する。
「・・・カノン・・・さすがの私も、それは『ない』と思うわぁ」
「あ、ご、ごめん・・・ぼく、何て言ったらいいか分からなくて」
どうしよう、どうしよう、と珍しく困って焦っている様子が何だか可愛くて、キニアンはちいさく吹き出した。
「ア・・・アリス?」
怒ってない? と菫色の瞳が言っていて、キニアンは首を振った。
「たぶん、お前はこっちの方が好きだと思うよ」
「え?」
首を傾げるカノンにちょっと微笑んで、キニアンは再び演奏を始めた。
「──『無伴奏チェロ組曲 第1番』」
バッハだな、と呟くヴァンツァー。
チェロの演奏は邪魔しないように、カノンたちの耳元にだけ声を飛ばす。
こんな平和な日々の中でも、たまにはファロットの技術も役立つものである。
きらきらと輝く音の洪水。
パガニーニとは全然違う。
こちらの方が『アリスらしい』とカノンは思った。
あの超絶技巧は確かにすごかったが、今この曲を演奏しているキニアンの表情は穏やかだ。
この曲も決して簡単なものではない。
けれど、キニアンはまるで語るように、遊ぶようにチェロと向き合っていた。
彼が『相棒』と呼ぶ理由が少し分かった気がして、ちょっと面白くない。
そりゃあ一緒に過ごした年月は比べ物にならないのだけれど、無口で無愛想で空気の読めない男が、チェロ相手だとこんなにお喋りになるのかと思うとむかっ、としたりするのだ。
演奏が終わると、カノン以外の3人はまた惜しみない拍手を贈った。
カノンだけ憮然とした表情でチェロを睨んでいるから、キニアンは「俺、何かまずいことしました?」とシェラやヴァンツァーに目で訊ねた。
ヴァンツァーは肩をすくめたが、シェラはくすくす笑っている。
「カノンは、アー君をチェロに取られちゃったみたいで、面白くないだけだよね」
「──そんなことない!」
「はいはい」
「・・・・・・」
むぅ、と唇を尖らせたカノンの頬が少し染まっていて、キニアンはびっくりしてしまった。
そうして、ちょっと考える顔つきになると、アンコールとばかりに最後の1曲を演奏し始めたのである。
それを聴いたシェラとソナタは思わず顔を見合わせ、ヴァンツァーはちいさく笑い、カノンはひたすら顔を真っ赤にして暴れ出したいような表情をしていた。
すべての演奏が終わったところで、カノンはキニアンに言い放った。
「──何で皆のいる前で弾くの?!」
それは、少し前にカノンがリクエストしていた曲だった。
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さて、キニアンは何を弾いたのでしょうか?(笑)
にしても、長すぎ・・・気が向いたらサイトに移すかも知れません。話の前後関係とかめちゃくちゃでも気にしない方向で。
ううう・・・これくらい記念小説も書ければいいんだよ、書ければ・・・