小ネタや更新記録など。妄想の赴くままに・・・
週末は昼ころまで寝ている橘です、どうもこんにちは。
さて、久々の小ネタは、これまた久々の仔豚ちゃんです。
さて、久々の小ネタは、これまた久々の仔豚ちゃんです。
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シェラ・ファロットは美しい。
白銀の髪と菫色の瞳、天使のような美貌は儚げで、男であれば──特に兵士や騎士であれば命に代えても守らなければ、と決意するような貴婦人のひとりである。
一部、高位の騎士たちが聞けば失笑するであろうが、宰相の娘である彼女が二十歳をいくつも超えても婚約者ひとりいないのは、身体が弱く、貴族の務めを果たせないから、とされていた。
「──うまく取り入ったものですわね」
王宮から騎士の訓練場へ行く道すがら、すれ違いざまにそう呟かれ、シェラは内心でため息を零した。
相手は侯爵家の令嬢と、その取り巻き。
豊かな栗色の髪は高く結い上げられ、目元のほくろが色っぽい美女であるが、性格のキツさが顔に出ている。
宰相の娘ではあるが、伯爵位に過ぎないシェラは頭を下げて彼女たちが通り過ぎるのを待っていた。
「大人しそうな顔をして、どんな手を使いましたの?」
中身は顔の造りほど大人しくない──むしろ猛獣だと近衛騎士団長には言われるシェラだったが、ゆっくりと顔を上げるとおっとりと微笑んだ。
「何のことでしょう?」
「白々しい──第二王子のことに決まっているでしょう」
──『殿下』をつけろ、この馬鹿が。
聖母のような慈愛に満ちた表情の裏で、シェラはそんな風に思っていた。
「あの方が、何か?」
「代わりなさい」
「──・・・おそれいります、仰る意味が」
思わず「は?」と言いそうになるのをどうにか堪える。
「第二王子の侍女、わたくしがやってあげるわ」
「・・・・・・」
「王太子殿下の弟君ですものね。黒髪にさえ目を瞑れば、まぁまぁ見られますもの」
正直なところ、そんな風に言ってくる令嬢はこの女だけではない。
最近、このように絡まれることが増えた。
この三年ほどで、第二王子は美しく、それはそれは美しく成長した。
高すぎる魔力が恐れられているとはいえ、シェラが危惧したように、かの方に熱い視線を向ける令嬢は少なくない。
「どうせ、お父君にでも頼まれたのでしょう? お父様から話を通してもらってもよろしくてよ?」
財務大臣の娘ごときに何を言われたところで、あの父が眉一つ動かすものか。
「おととい来やがれ」と言いそうになったシェラの耳に、件の王子の声が聞こえた。
「シェラ! 迎えに来てくれたの?」
駆け寄ってきた王子がにこにこと機嫌良さそうに微笑むだけで、見頃にはまだいくらか早い桜の蕾がポンポン音を立てて花開いていく。
その様子に、侯爵令嬢の取り巻きたちはビクリ、と肩を揺らした。
侯爵令嬢その人は、す、と開いた扇で表情を隠す。
醜態を晒さないのは流石であるが、この仔犬のような殿下の何が恐ろしいのか、シェラにはさっぱり理解できない。
「ごきげんよう」
淑女の礼を取る令嬢に、第二王子は首を傾げた。
「シェラのお友達?」
「いいえ」
きっぱり言い切ると、王子は「そう」と頷いて王宮への道を歩き始めた。
今日はこのあと、王太子妃との茶会の予定がある。
湯浴みと着替えの準備を整えて、シェラはこの場へ赴いた。
魔法を使えば適温の湯など一瞬で用意できる王子ではあったが、その手を煩わせるなどとんでもない話だ。
シェラは黙って王子の後ろに付き従った。
「──お待ち下さい」
令嬢の声に、シェラは凍てつくような視線を向けそうになるのをどうにか堪えて振り返った。
「不敬です」
この国で、第二王子を呼び止められる人間など片手で足りる。
「いいよ、シェラ」
「殿下」
嗜めるようなシェラの声にも、第二王子はどこか嬉しそうな表情を浮かべている。
「わたしに何か用?」
直答を許された令嬢は、一瞬勝ち誇ったような表情をシェラに向けたあと、第二王子に向かって美しく微笑んだ。
「本日より、わたくしが殿下の侍女を務めさせていただきますわ」
この言葉に、王子は青い瞳を瞬かせた。
「あなたが?」
「はい」
「なぜ?」
「ファロット伯爵令嬢は、ひとりで貴方様の身の回りのお世話をしているとか」
「そうだね」
「行き届かないところもありますでしょう? ですから、わたくしどもが」
「あなたは、動物が好きなの?」
「──は?」
唐突に言葉を遮られ、その美貌と高い地位で男にちやほやされた経験しかない侯爵令嬢は、隠しきれず眉を寄せた。
「動物・・・ですか? えぇ、まぁ・・・パピヨンの仔犬であれば、当家にもおります」
男は狩猟のため、女はちいさく毛並みの良い姿を愛でるために犬を飼うのは、貴族のステータスのひとつでもある。
遠く離れた地から輸入された動物などであれば、更にその価値は高くなる。
侯爵令嬢は、したり顔で頷いた。
「殿下も犬を? であればわたくし、犬の扱いにも慣れておりますわ」
「いや、わたしは飼っていない」
「では、なぜ・・・?」
訝しげに問う令嬢の言葉に、王子はにこやかな表情を崩さずにこう言った。
「だってあなたは、わたしを『白豚』と呼んでいたでしょう?」
だから動物の世話をするのが好きなのかと思って、と。
一瞬で令嬢の顔色が青褪めた。
周囲の令嬢たちのそれも。
その表情を見たシェラは、冷静に、至極冷静に、「殺す」と決めた。
かつて王子が王城を歩けば、その耳に入るように陰口を叩くものがいたという。
王族に対する不敬罪は極刑だ。
だが、当時はそれを咎めるものもいなかった。
──今は、違う。
自分にその資格があるかどうかなど、些末なこと。
隠した剣に手が伸びそうになるが、この場では第二王子の目があるから、とどうにか自分に言い聞かせる。
「それからあなたは思い違いをしている」
言葉を発せないでいる令嬢に向けて、王子は穏やかな表情のまま告げた。
「シェラには、わたしがお願いしてそばにいてもらっている。不自由は感じていないし、他のひとに代わりができることでもない──だから、あなたたちは必要ない」
ぞわり、と、背筋に歓喜が駆け抜ける。
シェラは緩みそうになる口許を何とか抑えて、何でもない表情を取り繕った。
「シェラ」
「──はい」
「行こうか」
「はい、殿下。王太子妃殿下がお待ちですので」
ちらり、と侯爵令嬢に視線を向ければ、悔しそうな顔をしている。
王太子妃と会う予定の殿下に、これ以上時間を取らせることなどお前ごときには赦されない。
「──あ、そうだ。はい、どうぞ」
左手を差し出してきた王子に、シェラは首を傾げた。
「エスコート、だっけ?」
引きこもって生活をしていた王子は、宮中の様式にも世間にも疎い。
カトラリーの使い方も怪しかったが、飲み込みの早い王子はシェラの教えをあっという間に身につけていった。
「義姉上が、シェラをエスコートして連れておいで、って。だから予行練習」
そういうことならば仕方ないが、右手を預けるのか、とシェラは内心で嘆息した。
武器は両手で扱えるように訓練してはいるが、利き手は右だ。
右側に人がいるというのは、どうにも落ち着かない。
「湯浴みとお召し替えの準備が整っております」
「ありがとう。今日はどんなケーキが出てくるかな」
シェラが王子の手に右手を乗せると、きゅっと握られてそのまま歩き出す。
「殿下」
「なに?」
「これではただ手を繋いで歩いているだけです」
「違うの?」
「違います」
「じゃあ、教えて?」
お願い、と。
身長は王子の方がだいぶ高いが、どこか上目遣いにも見える様子に、きゅん、とみぞおちの辺りがくすぐったくなるのを感じたシェラだったが、コホン、と小さく咳払いをするとエスコートのお作法を教えた。
紳士にとっては当たり前のことではあるが、女性の歩幅に合わせて歩くというのは、慣れない人間にはなかなか難しい。
特に夜会で正装する際など、女性のドレスの重さはちいさな子どもくらいあり、想像以上に歩きづらいものだ。
けれど、第二王子のエスコートは非常に歩きやすく、シェラは驚いた。
「歩きやすいです、殿下」
「本当? 良かった」
嬉しそうに微笑みを浮かべるこの美しくやさしい方を、何に代えても守るのだ、とシェラは決意を新たにする。
「ねぇ、シェラ」
「はい、殿下」
「さっきみたいなひとは無視して構わないんだけど、もし何か嫌な思いをしたら、兄上が名前を出してもいいって言ってたよ」
「──王太子殿下が?」
「わたしが選んだって言ってもあまり効果がないようだったら、兄上の指示だって言っていいって」
それは現在、この国では最強のカードの一枚だ。
言うまでもなく、王族の名を騙ったり、みだりに口に出したりすることは重罪だ。
だから、それが許されているというのは非常に強い一手であり、王族の名を使って虚偽を申告することなどありえないため信頼性も高い。
「だからシェラは、何も心配しなくていいんだよ」
「──・・・」
王子の言葉が「何もしなくていいんだよ」と言っているように聞こえ、シェラは息を呑んだ。
「御心のままに、殿下」
**********
命拾いした令嬢がいたとか何とか。
パイセンに体育館裏に呼び出されるけど屁でもないシェラが書きたかっただけ。
あー、休みって素晴らしい。
本日、お休み4日目です。あと半分あります。
初日はプリンを焼き、二日目は親戚の家に仕事の手伝いをしに行き、昨日はのんびりして今日は朝から大量の餃子を作りました。200gしかお肉使ってないのに、野菜いっぱい入れたら50個くらいできた。
あとはどこかで、会社の部下に受講してもらっているHTMLのオンデマンド講座をちょこっと眺めて、アドバイス出来るようにしようかなぁ、と思います。
さて、友人と約束していた小ネタをば。ちょっと遅くなっちゃってごめんよ!
本日、お休み4日目です。あと半分あります。
初日はプリンを焼き、二日目は親戚の家に仕事の手伝いをしに行き、昨日はのんびりして今日は朝から大量の餃子を作りました。200gしかお肉使ってないのに、野菜いっぱい入れたら50個くらいできた。
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さて、友人と約束していた小ネタをば。ちょっと遅くなっちゃってごめんよ!
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「あーあ、大人げない・・・」
立ち上がる気力もないのだろう、地に伏している黒髪の青年は、その肩と背中を大きく上下させている。
それでも、手にした剣をグッと握っているところがいじらしい。
「ふん。まだまだだな」
副官の言葉に鼻を鳴らした偉丈夫は、尊大な様子で胸を反らしているが、全身汗塗れだ。
それでも、某伯爵令嬢の言葉ではないが、護るべき相手に剣で負けるなどあってはならない──王太子は例外だ、あれは規格外中の規格外だ、というのが近衛騎士団長の言だった。
「殿下、立てますか?」
ガキ大将のような団長に呆れた視線を向けた副官は、土と砂で白っぽくなった黒衣の青年を、ゆっくりと抱え起こした。
体重は以前とさして変わらないだろうが、体格はまったく別人と思うほどに変わった。
がっしりと広い肩、硬い腕、身体の厚みは半分くらいで、贅肉などどこにもない。
「・・・アス、ティ──けほっ」
「水です。飲んでください」
水筒を手渡せば、素直に頷いてコクコクと飲み干していく。
「俺には」
「あなたは自分で動けるでしょう」
「差別だ」
「区別です」
馬鹿なことを言って張り合ってくる団長を一瞥もすることなく、「ゆっくり飲んでください」と背中を撫でる。
「・・・大丈夫。ありがとう」
その言葉に嘘はないようで、呼吸は落ち着いている。
訓練用の剣を地面に突き立て、少しふらつきながらも立ち上がったこの国の第二王子は、腕組みをしている偉そうな男に一礼をした。
「ありがとうございました」
「いつでも受けて立つぞ」
その言葉にもぺこり、と頭を下げて、王子は訓練場をあとにした。
+++++
あまりにも汚れすぎていてそのまま自室に帰ることが躊躇われ、王子は周りに人目がないのを確認して水の精霊を喚んだ。
頭から足の先までびしょ濡れになったが、火照った身体には心地よかった。
軽い擦過傷は、ついでとばかりに水の精霊が癒やしてくれた。
「ありがとう」
有り余っている魔力のほんの一欠片を精霊たちに分けてやれば、嬉しそうに還っていく。
マメが潰れた手を見て、魔法ならばいくら使っても疲れないのにな、と嘆息した。
「水も滴るなんとやらだな」
唐突に声が掛けられて、王子は肩を跳ねさせた。
けれど、知った声だったのでその美貌に笑みを浮かべた。
「──兄上!」
自分が知る男の中で、文句なしに一番かっこいいと思う兄の登場に、王子は仔犬のように駆け出した。
ほとんど意識することもなく火と風の精霊を喚び、全身を乾かしてもらう。
第二王子はその髪があまりにも真っ黒だから忌避されているが、類稀な美貌の主という意味ではよく似た兄弟であった。
弟は、ここ数年関わることが増えた兄のことが大好きだった。
王太子に恋をしない女はいないと言われる優れた容姿、国一番の剣の使い手とされる鍛えられた長身、政務も外交も涼しい顔でこなす頭脳、公正な瞳は光の加減で金色にも見える琥珀色。
「うわっ!」
「──おっと」
足がもつれて転びそうになったが、危なげなく抱きとめてくれる腕には頼もしさしか感じない。
「大丈夫か?」
「はい。さっきまで団長と稽古していたので、思ったよりも足が動かなかったようです」
「あぁ。それで水浴びしてたのか」
触れている服も、そっと撫でてやった髪もすっかり乾いている。
「どうだい、デートは近付いたか?」
ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべても魅力的な兄の言葉に、弟王子は思わずしゅんとなった。
「・・・団長は、力でゴリ押ししてきます」
「だな」
「剣筋は見えます。次にどう動くかも読めます──でも、ものすごく一撃が重いんです」
王太子には敵わないものの、近衛のトップを任されるくらいであるからその強さは誰もが認めるところだ。
「見えたところで、重すぎて打ち合えない。流そうとしても、そのまま押し切られることが多くて」
「最近、女王にも稽古つけてもらってるんだろう?」
王太子と王太子妃は、その出逢いが少々特殊であったことから、互いを『女王』『海賊』と呼び合う。
夫婦喧嘩は殴り合いに発展することさえあるが、仲が良くていいなぁ、と王子は兄夫婦を羨ましく思っていた。
「はい。義姉上の剣も重いですが、片手剣ですし、槍術が得意だから剣でも突きを多用してきます。手数が多いのでさばくのは大変ですが、何というか・・・動きはとても素直です」
「──ぶはっ」
思わず吹き出した兄の様子に首を傾げた弟王子であったが、「続けな」と言われて頷いた。
「団長のように、起こるはずの結果と違うというのは、他の人だとほとんどなくて」
「ふぅん。なるほどな」
「兄上?」
王太子の方が少し背が高く、兄は視線を上げて見つめてくる弟の髪を、ワッシワッシと撫でた。
「明日、半刻くらいなら時間が取れる」
「はい・・・?」
「俺も訓練に混ぜてくれ」
「──本当ですか?!」
ぱぁぁぁぁっ! と藍色の瞳が輝く。
兄が戦の天才だという話はいくらでも聞くが、実のところ手合わせをしたことは一度もない。
自分と違ってあまりにも多忙な兄を煩わせるのも気が引けて、でも、誰よりも強い男になれれば少しは興味を持ってもらえるのではないかと、デートの条件を兄に話した。
一瞬ぽかん、とした顔をされて、やはり無理かとしょんぼりしたが、やさしい兄は笑って請け負ってくれた。
「頑張ります!」
そのときと同じ言葉を返してくる弟王子の眩しいほどの笑顔に周りの緑が濃くなった気がして、王太子はもう一度眼の前にある頭を撫でた。
+++++
──そして、黒髪の王子は今日も地に伏している。
兄が天才だと言われる理由が、少し分かった気がした王子だった。
最初は、アスティンの剣に似ていると思った。
剛の剣ではなく、柔の剣。
無理に押してくることはなく、型に沿った生真面目な剣だ。
けれど、それであれば勝ち目もある──そう思っていたのだが。
「ははっ。本当に近衛並みに強いんだな」
笑った兄の剣が急に重くなって、「え?」と思ったときには柄から手が離れた。
すぐに拾って打ち込めば、これまでとは別ものの、強く鋭い剣で受けられる。
隣国から嫁いできた女傑は王子と変わらないほど背が高く、兄曰く丸々としていた頃ですら王子の方が体重が軽く、近衛の騎士たちが「え? あなたも護衛必要ですか?」と呆れるほどに強い。
義姉上の剣、と気付いたときには腰のベルトの金具の上を突かれて背中から倒れた。
頭が混乱したが、それでもほとんど無意識に剣を拾い、構える。
「お前、すごいな」
「・・・ありがとうございます」
ひと太刀も入れられないのになぜ褒められたのかは分からないが、王子はぐっと表情を引き締めた。
王太子の全身からは力が抜けているようなのに、こちらから仕掛ければ即座に反応される。
手数を増やして隙を作ろうとしても涼しい顔で受けられ、ほんの少しでも剣先をずらせれば、と思っても力で戻される。
そう、団長の剣がこんな感じだ。
脇腹を強かに打たれた瞬間、突風が吹いた。
春の嵐のようなそれに、固唾を呑んで兄弟王子のやり取りを見ていた騎士たちもよろめく。
「・・・すみません」
第二王子の感じた痛みか動揺が起こしたのだろう、と皆気付いた。
剣の訓練をしているとき、意図的に魔力を使うことはしていない。
けれど、今のように不可抗力で発動してしまうことは時々ある。
「もう一度、お願いします」
顎に伝う汗を袖で拭いながら、王子は王太子へ向かっていった。
勝つビジョンはまったく見えない。
それどころか、太刀筋すらも定まらない。
誰かの剣に似ていると思ったら型が変わり、反応出来るようになる前に別人の太刀筋になる。
──遊ばれている。
そう思ったら悔しくて、第二王子は持てる最大限の速度でがむしゃらに、ひたすら打ち込んだ。
「そうだ! もっと打って来い!」
返事なんてしている余裕はなくて、だから王子は剣で返した。
唐竹、袈裟斬り、左袈裟、逆袈裟、右薙、左薙。
訓練用に刃を潰しているが、鉄の塊だ。
それを木刀のように片手で扱う王子たち。
「うちの王子様方は、とんでもないですね・・・」
ボソッ、と副官が呟くのに、団長は「ふん」と鼻を鳴らすだけに止めた。
王太子が鬼のように強いのは皆知っている。
一騎当千とはあの方のためにある言葉だ、と言われるほどだ。
第二王子とて近衛騎士に混じって訓練をしているから、瞬く間に副官と互角にやりあえるほどになったことは分かっている。
分かってはいるが、王族警護を主な任務とする生え抜きの騎士たちが、剣を持ってたった3年の青年に負ける──誰もがあり得ないと思うだろうが、この光景を見ても同じことを言えるものはいないに違いない。
「・・・しかも、だんだん動きが良くなってませんか?」
誰、とは言わずとも分かる、弟王子だ。
息は上がっているし、時々足ももつれそうになっている。
それでも、いつもぽやっとしているのが信じられないほど眼光は鋭く、王太子がほんの一瞬でも隙を見せないか、虎視眈々と狙っている。
王太子の方はまだまだ余裕で、弟が次にどこへ打ち込んでくるのか分かっているように、危なげなく剣を合わせていく。
「──そろそろ時間だぜ、っと!」
「うあっ!」
当たれば確実に骨が砕けるほどの力で袈裟懸けに振り下ろした刃は、王太子の剣が触れるか触れないかで弾かれたように見えた。
取り落とすまいと握りしめていたため、第二王子は弾かれる剣に腕を持っていかれ、背中から地面に落ちた。
身体を固くして勝敗の行方を見ていた騎士たちは、何が起きたのか分からなかった。
「見えましたか?」
「見えんな」
副官が団長に問いかけるも、そんな返事しか返ってこない。
当事者たちはと言うと、王太子はほんの少し息を見出しているが、それだけ。
第二王子は大の字に倒れたまま、荒い呼吸が収まらないようだ。
「バルロ、あんたあと半年くらいしたらヤバそうだな」
「まだまだ──と言いたいところですが・・・あまり殿下に稽古をつけんでください」
近衛騎士団長の言葉に王太子は鷹揚に笑い、副官は瞠目した。
負けず嫌いの団長が、第二王子に負ける未来を見たのだ。
「起きられるか?」
王太子が手を伸ばせば、ぐったり横たわっていた第二王子は目を開けたものの、その手を掴もうとして──全然腕が上がらなくて諦めた。
だから、王太子自ら膝をつき、背中と肩を支えて抱き起こしてやった。
「まだ身体がついて来ないんだな」
「あなたには大抵の人間がついていけないと思いますが」
そういう意味でないのは分かっているだろうに、団長はムスッとした顔でそんなことを言った。
「・・・身体が、ついていっても・・・あれは、防げない、気がします」
肩を上下させながらの言葉に、王太子は面白がるような顔つきになった。
「見えたか?」
「見えたところで、結果は同じです」
「いや、そもそも見えるのがすごいって話だ」
「──え?」
弟の訝る視線を受け、王太子は周囲に居並ぶ騎士たちに、なぜ第二王子の剣が弾かれたのか訊ねた。
誰も──副官や団長ですら、答えられなかった。
「お前には見えたんだろう?」
「もちろん」
「何で弾かれた?」
どうして兄上はこんなことを訊くのだろう? と不思議に思ったが、第二王子は呼吸を整えて目にしたままを答えた。
「切っ先をエッジに当てられたからです」
ザワリ、と声が上がる。
まさか、さすがにそれは、いやしかし。
王太子の剣技を知る近衛の騎士たちであったが、周りの同僚と「出来るか?」「馬鹿言え」などと言葉を交わしている。
「・・・剣の腹で押し返されたのではなく?」
「たぶん、それならもう少し堪えられた」
副官の言葉に、第二王子は首を振った。
「振り下ろす勢いが強かったから、弾かれる反動も大きかったんじゃないかと」
思います、と言おうとした弟の黒髪を、王太子はぐしゃぐしゃになるほど撫でまくった。
ふわりと暖かな風が吹いて、まだ芽吹くには早い花がいくつか開いた。
「お前は目がいい」
弟の形の良い頭に両手を添えるようにして、王太子は笑った。
「頭もいい。剣を交える相手の癖を見抜いて、どうすれば効率的に無力化出来るか考えられる」
でもな、と続けられる兄の言葉に、第二王子は真剣な表情を向けた。
「頭で考えてたら、遅いんだ」
「遅い・・・」
「さっきのは、どうやって対処したら良かったと思う?」
少し考える顔つきになった第二王子は、ふ、と顔を上げた。
「エッジではなく、剣の腹を当てていたら違ったと思います」
「あぁ、いいな。それなら、あの動作から最小限の動きだ」
当たる面が大きくなれば、競り勝てたかも知れない。
「ただ、分かっていてもあの一瞬でその判断は下せません」
「それが出来るようになったら、俺に勝てるぜ?」
「・・・・・・」
にっこりと笑みを浮かべてくる兄に、弟はものすごく複雑な表情になった。
『万能の天才』と言われる兄は、剣技ですら様々な型を身につけていることが分かった。
遊ばれていたというより、指導をしてくれたのだと今であれば理解できるが、どんな型で来るのか分からないと動きを読みきれない。
「兄上すごいなぁ」と誇らしくなる一方、「何でこのひとから一本取るなんて言っちゃったんだろう」と後悔もしていた。
へにょり、と第二王子の美貌が情けなく歪んだ途端、雲が出て日が陰る。
「そんな顔すんなって。頭で考えなくても身体が動くようになったら、団長なんて秒殺だぜ?」
「秒ということはないでしょう。あなた相手でも1分くらいはもちます」
第二王子は愕然となった。
「・・・1分しかもたないのですか?」
「おい」
「ぶっ」
団長が鬼のような形相になるのと、その副官が思わず吹き出したのは同時だった。
「わたしは、まだまだ団長に及びません。兄上は、その団長を1分とかからず倒してしまうのですか?」
「そうだなぁ」
のんびりした様子で答える王太子だったが、物騒なことを言うなら、殺しても良いのならもっと早く終わる。
全力を出しても訓練の域を出ないのなら、そのくらいの時間になるだろう。
「・・・そうですか」
俯いた王子の様子に、一瞬諦めるのか、と思った王太子であったが。
「──団長に勝つまで、お菓子食べません!!」
ぐっと拳を握って気合をいれた第二王子の宣言に、騎士たちからは「おおー!」と歓声が上がった。
以前とは比べ物にならないほどに引き締まった身体になった王子であったが、今でもお菓子は大好きだ。
けれど、今回はそれくらい本気だということなのだろう。
騎士たちの間から「がんばれー」「やっちまえー」「俺たちの分もー」といった野次が飛ぶと、団長は獰猛な虎のような顔つきになり、副官はとある女性を思って苦笑した。
──殿下がお菓子を召し上がらないなんて・・・。
近衛騎士たちの間では王太子妃と並んで物騒だと言われる見た目天使な淑女は、翌日、武装した屈強な男たちに囲まれるよりもよほど恐ろしい思いをするのだった。
**********
兄上最強。
書くぞー。
**********
──冗談の、つもりだった。
「嘘は禁止」と言った手前、自分も吐くつもりはなかったけれど。
「食べたいものある?」
料理上手な恋人は、和洋中何を作らせても美味い。
品数も多くて、一人暮らしだったのにそんなに作るのか聞いたら、「副菜は多めに作って冷凍しちゃう」と返ってきた。
自分で作るとしたらパスタを茹でるくらいしかしない身としては、あっという間に何品も出てくるのが魔法みたいに思えた。
「その日はお休みだから、何でも作っちゃうよ!」
再会した頃には、高校の教員ではなく塾の講師をしていた。
個別指導の塾だと聞いて辞めさせようかと思ったが、「今は小学生も大変だよね」と笑って言うので、続けさせてもいいかな、と思い直した。
「──あ、でも、外食の方がいいかな?」
不安そうな顔で、そんなことを訊いてくるから。
「猫耳メイドなあなたを食べたいかな」
そう、返した。
真っ赤な顔になって、「そういうことじゃない!」と怒られた。
「まだちょっと肌寒いから、シチューが食べたいな」
赤ワインと牛バラ肉で作るトロトロのシチューは絶品だ。
贅沢に、それをオムライスにかけて食べたりするとため息しか出て来ない。
店でも開けばいいのに、と頭の片隅で考えて──でも、この味を独り占め出来る幸福は手放せそうになかった。
「・・・シチューだと、寝かせた方が美味しいけど」
「いいよ。たくさん作って、余ったら週末はオムライスにして」
だから、そっちもリクエストしておいた。
予定よりも30分ほど事務所を出るのが遅くなって連絡を入れたら、「大丈夫だから気をつけて帰ってきてね」と言われて、あぁ、帰る場所があるんだ、と頬が緩んだ。
「──悪い、シェラ。本当はもっと」
玄関に入って革靴を脱ぎながら謝ると、ダイニングへ続くドアが開く気配がした。
「はや、く──」
振り返ったら、あちこちに視線を彷徨わせている銀髪の黒猫がいた。
「お・・・おか、えり」
モジモジと手足を擦り合わせているのを見て、とりあえず鞄を放り出した。
「ヴァン──」
思い切り抱きしめて、びっくりしている顔を両手で上向かせて、開きっぱなしの口にキスをした。
「このまま押し倒してもいいってこと?」
「ちがっ!」
「でも、こんな可愛い格好をしているあなたがいけないと思うよ」
「それは・・・ご、ご飯食べたら!」
腕の中から逃げられたと思ったら、鞄を拾いに行って、胸の前で抱えている。
そんな弱いバリケードは簡単に崩せるけれど、空腹なのも確かだったので「わかりました」と頷いた。
「──うわ」
ダイニングへ続くドアを開けて思わず声が出たのは、見慣れているはずのテーブルが様変わりしていたからだ。
白いクロスが掛けられ、真ん中にはこんもりと花が飾られている。
整然と並べられたカトラリー、ガラス皿の上に置かれたナフキン。
「レストランみたいだな」
「ふふ、見た目だけね」
着替えてきて、と言われたけれど、これはノージャケットで座っていい席だとは思えない。
そう告げたら、菫色の瞳が丸くなって、すぐに嬉しそうに細められた。
「じゃあ、シャンパン開けてもらってもいい? 前菜用意するから」
「え、全部一緒に出していいよ」
「気分、気分! そんなに何皿も出ないから大丈夫」
少し申し訳なく思ったけれど、きっと色々考えてくれたんだろうと思って、素直に従うことにした。
再会したときには成人していたから、飲酒が出来る年齢だった。
それを知ったシェラは、感慨深そうな顔をしていた。
「はい、まずは前菜」
「すご・・・」
真っ白い皿の上には、ちいさめに切られたキッシュ、スモークサーモン、白身魚のエスカベッシュ、色とりどりのプチトマトが半分に切られて飾られている。
「お野菜いっぱいだよー」
キッシュの中はたっぷりのほうれん草とベーコン、エスカベッシュは赤と黄色のパプリカ、細切りの人参、玉ねぎが入っている。
好き嫌いはさほどないけれど、野菜や魚よりも肉を食べがちなので、こういう気遣いはありがたい。
「「──乾杯」」
フルートグラスに注いだ黄金色のシャンパンで、喉を潤す。
しゅわり、と舌と喉をくすぐっていく細かな泡の感触が楽しい。
目の前に並んだ料理は見た目も美しく、ここが自宅だということを忘れそうになるが──。
「──ぷっ」
「え、何で笑った?」
「いや、だって、こんな完璧な食卓で、あなた猫耳」
「だっ! そ、それはヴァンツァーが!」
「うん。めちゃくちゃ可愛い」
「~~~~っ!」
黒い猫耳に、黒い膝丈ワンピースドレスに白いエプロン。
銀色の髪は給仕の邪魔にならないようにか、緩く編まれている。
「いただきます」
「・・・召し上がれ」
まずはキッシュ。
タルトではなく、パイ生地のようだ。
アパレイユの部分はやわらかく、パイにはサックリとナイフが入っていく。
「このベーコン美味い」
「パンチェッタだよ」
「パンチェッタ?」
「塩漬けの豚肉。生ベーコンだね」
「ベーコンってスモークしないのもあるんだ」
「これ入れたペペロンチーノが絶品」
「作って」
「はいはい」
食いしん坊さんめ、とくすくす笑われた。
正直、食べることにはあまり興味がない。
ただ、この人の作るものは美味い。
「スモークサーモンって、こんな味濃いっけ?」
「あぁ、鮭のスモークサーモン美味しいよね」
「鮭の、スモークサーモン・・・?」
「マスで作ったスモークサーモンより、私は鮭で作ったやつの方が好きかな」
「・・・鮭じゃないのもあるの?」
「あるよ?」
不思議そうな顔をされて、料理の奥深さを知った。
「うま」
「ふふ、きみ、酸味の強い味好きだよね」
白身魚を揚げ焼きにして、その油で薄切りにした野菜を炒めてビネガーを加えるらしい。
熱いままのビネガーを魚にかけてマリネにするだけの簡単な料理だ、と言うが、ワイングラスに伸びる手が止まらない。
「お酒強いよね」
「そうか?」
「未成年のうちから飲んだりは・・・」
「してませんよ。煙草も、もうやめたし」
「偉い、偉い」
そんな話をしていたら、オーブンが鳴った。
「さぁ、次はグラタンだよ」
ちいさめのココットで、チーズとソースがグツグツいっている。
ホタテとエビは入っているが、マカロニはなかった。
でも、ソースを食べる感じのこれは、結構好きだ。
「ホワイトソースが家で作れるなんて、あなたのを食べるまで知らなかったな」
「きみはチーズも好きだよね。ピザとか」
「あなたの作るものは何でも」
「・・・もう」
ちょっと赤くなっているのは、きっとワインのせいではないだろう。
「お待ちかねのシチューだよ。バゲットと一緒にどうぞ」
ゴロゴロした肉と、人参、じゃがいも。
玉ねぎも四分の一くらいの大きさで、でもトロトロしている。
「赤ワインも開ける?」
「うん」
そう高いものではないけれど、シチューを煮込むときに使ったのと同じものだという。
料理にワインを使う場合、それを味わうときに同じワインを飲むのが贅沢らしい。
「まずいな・・・」
「──え?! 美味しくなかった?!」
愕然とした顔になるシェラに、「違う」と謝った。
「やばいな、ってこと」
「何で?」
「俺、もう一生外食しなくていいかな、って」
真面目に言ったのに、思い切り笑われた。
「作りがいがあるなぁ」
「でもあなたの負担が増えるのは良くない」
「たくさん作るのは休みの日とか、特別な日じゃないと無理だけど、料理は好きだから負担じゃないよ」
皿まで舐める勢いでシチューを平らげた。
食べる様子をにこにこと眺められて、さすがに少し気恥ずかしくなったけれど、手は止められなかった。
「デザートも作ったんだ」
ケーキはいらないと言ったからだろう。
無理はしなくていいからね、と出されたのはグラタンに使ったのと同じココットで、中身はその倍くらいの高さに膨らんでいる。
「スフレ・オ・フロマージュ。チーズのスフレであんまり甘くないから、食べられそうなら食べてみて」
きつね色の表面にスプーンを入れると、サクッと軽い感触がした。
すくい上げた中身は火が入っているのにトロッとしていて、チーズとほんのすこし甘い香りがした。
「──美味い」
「ほんと?!」
きゃー、と手を打ち合わせて喜んだシェラは、グラスにスパークリングワインを注いでくれた。
「辛口の白ワインとかスパークリングワインと合うと思うんだ」
ワインを飲んで見ると、焼きたてのスフレの熱さが緩和されて、またスフレに手が伸びる。
あっという間に完食するのを、シェラは感動したような目で見てくる。
「良かったぁ・・・誕生日は、やっぱりケーキが欲しいと思うんだ」
お互い、あまり幸福な幼少期ではなかったから、祝い事には縁がない。
「これなら毎日でも食べたい」
素直にそう言ったら、目を丸くしたあと嬉しそうに笑った。
「・・・でも、誕生日プレゼント買ってないんだ。きみ、何もいらないって言うから」
「うん」
「私にはいっぱいくれようとするのに、そういうの良くないと思う!」
ふんすっ、と鼻息を荒くする様子に、ちょっと笑ってしまった。
「じゃあ、お願いがあるんだけど」
「──うん!」
「これ、つけてくれる?」
差し出した箱を、怪訝そうな顔で見るから、蓋を開けてやった。
菫色の瞳がまん丸になる。
「ちなみに、お揃い」
自分の分をコトリ、とテーブルの上に置いたら、飛び上がらんばかりに驚かれた。
「上司には言ってある。結婚はできないけど、そういう相手がいるから職場でつけてもいいか、って」
ダメだと言われたら、そんな事務所は辞めてやるつもりだったが。
理解を得られたので、仕方ないからまだこき使われてやろうかと思う。
「これ・・・」
「つけてくれますか?」
「これ・・・きみへのプレゼントになるの?」
「ならないと思うの?」
「もらうの、私だし」
「俺ももらうよ──あなたのこと」
つけていい? と訊ねれば、潤んだ瞳でこくこく頷いて、「つけて」と言ってきた。
まぁ、断られるなんて微塵も思っていなかったけれど。
「それじゃあ、これからもよろしく」
「・・・こんな格好ですが、よろしくお願いします」
「最高に可愛いですよ」
あとで写真撮らせてね、と言ってキスをした。
**********
爆発しろ。
間もなくクリスマスです。クリスマス前はうちのシェラや双子の誕生日です。
今年は、せっかく再掲載しましたので、【Kiss Me Good-Bye】のその後でも書きますか。
本編ですと司法試験に合格したことになっているヴァンツァーですが、司法修習まで終わったことにしてください。
今年は、せっかく再掲載しましたので、【Kiss Me Good-Bye】のその後でも書きますか。
本編ですと司法試験に合格したことになっているヴァンツァーですが、司法修習まで終わったことにしてください。
**********
24日の夕方、ヴァンツァーと並んで歩けていることに、シェラは喜びを隠せなかった。
ふたりは、ツリーやライトによって飾られたショッピングモールで、手を繋ぎ歩いている。
黒いカシミヤのコートに身を包んだヴァンツァーはシェラの目にもとびきり格好良く映り、彼氏が隣にいる女性だって羨ましそうに見てくる。
「ご機嫌ですね」
くすっ、と笑われて、シェラは困ったように眉を下げた。
「ごめん、ちょっと浮かれてる・・・」
「いいんじゃないですか」
可愛いし、と言われて、シェラは頬を染めた。
再会したのが秋の終わりで、年明けには一緒に暮らそうと準備を進めている。
大人びて少し意地悪だった少年は、能面みたいな笑顔ではなく、やわらかい笑みを浮かべるようになった。
「・・・なんか、プレゼントもらったみたいで」
嬉しくて、とシェラは呟いた。
「プレゼント? クリスマスですか?」
ただ歩いているだけで? と首を傾げる恋人に、シェラは頭を振った。
「誕生日プレゼント」
ふふっ、と勝手に笑みが溢れる。
繋いでいない方の手を口許に持っていくと、「へぇ」と頭の上から低い声が落ちてきた。
「冬生まれなんですね」
「うん」
「もうすぐなんですか?」
「昨日」
だから嬉しくて、とにやけそうになる顔を俯いて隠していると、ヴァンツァーが足を止めた。
「ヴァンツァー?」
どうしたの? とシェラも立ち止まって右隣の長身を見上げれば、素晴らしく美しい男が青い瞳で見下ろしてきている。
ビクッ、と肩を揺らすシェラに、一瞬前の真顔が嘘のようににっこりと微笑みかけると、ヴァンツァーはシェラの手を引いて歩き始めた。
「じゃあ、プレゼント買わないと」
「え? あ、いや、ごめん、そういうつも」
「何がいいかな──あ!」
嬉しそうな声がして、ズンズン歩いていく青年の歩幅は大きい。
何か怒らせるようなことをしただろうか、と焦るシェラは、ヴァンツァーが入ろうとしている店構えを見て唖然とした。
「──は・・・?」
絶句しているシェラの手を引いて店内に入ると、「いらっしゃいませ」と挨拶しようとした店員も一瞬ぎょっとしたように目を瞠った。
そして、ふたりいる店員どうしがチラチラと視線を交わしている。
「ヴァ・・・ヴァン」
まずいよ、と繋いでいない方の手で服の袖を引いたシェラだったが、外面だけは大変良い男は、顔を赤らめている店員に笑顔で言った。
「このひと、超Aカップなのを気にしているんです。だから、可愛い下着を見繕ってあげてもらえませんか?」
「──ヴァンっ!!」
真っ青になったシェラだった。
女性用の下着専門店に、男ふたりで入って何と血迷ったことを。
出よう、とヴァンツァーの服を引っ張っても、びくともしない。
すみません、すみません、と頭を下げるシェラの焦りように、店員たちは逆に落ち着きを取り戻したらしい。
「はぁい。彼女さん、いつもどんなの着けてらっしゃいますか?」
にこやかに話し掛けてくる女性店員たちに、シェラはただ首を振るばかり。
泣きそうになっているシェラの肩にポン、と手を置いたヴァンツァーは、「いいですか?」と子どもに言い聞かせるような口調になった。
「そうだな、十着以上選ぶこと」
「・・・え?」
「可愛いのでも、セクシーなのでも、あなたの好きなものを──あ、ベビードールもね」
「いや、あの」
「支払いは俺がするけど、あとで楽しみにしたいから全部包んでもらっておいてください」
「──え?」
その言い方では、と不安そうな顔をするシェラに、ヴァンツァーは「選び終わったら呼んでくださいね」と携帯端末を振って見せる。
「・・・なんで」
「何で、って」
ちょっと呆れたようにため息を吐く男を、シェラは眉を下げて見上げていた。
「俺がこの店にいたら、他の客が入りづらいでしょう」
「わ、わた」
私だって男だ、と言いたかったに違いないシェラの唇に、ちょん、と指を当てて、ヴァンツァーは微笑んだ。
「──十着選べなかったら、お仕置きだよ」
じゃあまた後で、と背を向ける男のコートを、シェラは反射的に引っ張った。
その手を見下ろしたヴァンツァーは、シェラの不安の理由が分かったのだろう。
「仕方ないですね」
ぱっ、と顔を上げたシェラの手に、ポケットから取り出したものを握り込ませる。
握った手の上から自分の手を重ねて、「それ、貸してあげます」と告げた。
「・・・ヴァンツァー?」
「取りに来ますから」
だから置いていったりしない、と言外に含め、ヴァンツァーはポンポン、とシェラの頭を叩くと今度こそ店を出ていった。
「──彼氏さん、めちゃくちゃイケメンですね」
「ひゃいっ」
後ろから声を掛けられて、シェラは思い切り肩を揺らした。
ぎゅっと握った手に当たる冷たい感触。
そっと開いてそこにあったものを見て、びっくりしてまたすぐ握り込んだ。
「背も高いし。雑誌では見ないですけど、モデルさんとかですか?」
訊ねてくる店員に、シェラはおずおずと答えた。
「・・・弁護士、です」
ひゃあ、とまたちいさくはない歓声が上がる。
「完璧じゃないですか!」
「逃しちゃダメですよ!」
「あの」
「当店は、カップサイズの大きなお客様用も、そうでないお客様用も可愛いのたくさんありますので安心してください」
「素敵なクリスマスにして、ガッチリ掴んでおきましょう」
「あ、いえ」
「色はどんなのがお好きですか?」
「新作はこちらで」
「──あの!」
勇気を振り絞って声を出すシェラに、店員たちはきょとん、とした顔を向けた。
俯いて胸の前で手を握り込んでいるシェラは、ドクドク音を立てる心臓を落ち着けるように息を吸って吐いた。
「ご、ごめんなさい」
「お客様?」
「わ、わた・・・」
「どうかされました?」
「わた、し・・・──お、男・・・なんです」
ほとんど吐息で呟いた言葉のあと落ちる沈黙に、シェラは「怒られる」と覚悟した。
「えーっと・・・さっきのは、彼氏さんじゃないんですか?」
「か・・・彼、です」
認めると頬が勝手に熱くなる。
真っ赤な顔で視線を彷徨わせているシェラに、店員はまた訊ねた。
「こういう下着は、好きではないとか?」
ふるふるっ、と首を振ったシェラだ。
「ほ・・・ほんと、は・・・欲しいんです・・・で、でも、わ、私は男なので・・・」
涙が浮かんでくるのを、握った拳でぐいっと拭った。
「あ、あの・・・ごめんなさい。すぐ帰り──」
「──なぁんだ!」
「悪戯とか、無理やりとかじゃないんですね?」
「・・・」
どこか心配そうに声を掛けてくる店員たちに、シェラは首を振った。
「イケメンだからって彼女さんに無理やり好きでもない格好させるんじゃ許せないですけど、そうじゃないんですよね?」
「はい・・・」
むしろ、女性用の可愛い下着も、服も、シェラにとっては憧れだ。
通販サイトで見たりはするけれど、どうしても自分では購入ボタンが押せないもの。
だから、ヴァンツァーにコスプレさせられるのだって、ちょっと恥ずかしいけれど嫌ではない。
「おっけーです! さぁ、選びましょう!」
「──え?」
どうしてそうなるの? と目を丸くするシェラに、店員たちはにっこりと笑った。
「最近は、男性のお客様もブラジャー買うんですよ?」
「──え?!」
「男性どうしのカップルでなくても、普通に男性も購入されます」
「スポーツやってる男性がつけたり」
「カッチリしたスーツの男性が購入したり」
「当店も、あまり数は多くないですけど男性用もあります」
「・・・そうなんですか」
「ただ、男性用だと女性用のものほど装飾性はないので・・・お客様の場合は、どういったものがお好みですか?」
──変じゃ、ないんだ・・・。
それだけで、救われた気持ちになるシェラだった。
+++++
あれこれ迷っていたら、結構時間が経ってしまった。
ほんの少しだけ不安だったけれど、メッセージを入れたらすぐに返事が来て、シェラはほっとした。
いくらもしないで戻ってきたヴァンツァーは、暑くなったのかコートを脱いで腕に掛けており、そのスーツ姿にまたシェラは見惚れそうになった。
「ちゃんと選べた?」と笑顔で訊ねられて、はっとする。
「あ、あの」
「うん」
「い・・・いっぱいになっちゃった」
あれ、と既に包み終えているショップバッグを指差す。
よく出来ました、とばかりに、ヴァンツァーはシェラの頭を撫でた。
「男がしても・・・変じゃないんだって」
「そうですね」
「だから・・・──きみのも、選んでおいた」
「・・・・・・」
へへっ、とはにかむように笑うシェラ。
「あ・・・あのね・・・お揃いのがあったの・・・だから」
ちょん、とヴァンツァーのジャケットの裾を摘む。
ちらっ、と見上げたヴァンツァーは表情がなく、無言だ。
黙っていると冷たく整った美貌の男なので、何とも言えない圧力がある。
良いとも悪いとも何も言ってくれなくて、シェラはちらっ、ちらっ、と頭上の美貌に目を遣る。
それでも無言で見下されていると、だんだんと細い眉が寄っていって、むぅ、と唇が尖っていく。
まだ無言でいる男をグッと睨みつけるようになって、それでも何も言ってくれなくて、不安が爆発したシェラは息を吸った。
「──かっ、買って! あれ全部! 私が好きなの買ってくれるって言った!」
「・・・」
「選ばなかったらお仕置きだって言ってたけど、いっぱい買っても怒るなんて聞いてない!!」
だから買って! と駄々っ子のようなことを言うシェラに、ヴァンツァーは思わず吹き出した。
「──Sure!」
「・・・いいの?」
「As you like, babe.」
その代わり、とキスをするときのように指先で顎を持ち上げられ、シェラは目を丸くした。
「覚悟しておけよ」
そう言って、何だか鼻息を荒くしている店員にカードを渡すと、ぽかん、としているシェラに思い出したように半透明のちいさな手提げバッグを渡した。
コートの下で持っていたらしいそれには、四角い箱が入っている。
「はい」
「──へ?」
「バッジと交換」
「・・・」
もともとバッジは返す予定だったが、良く分からないまま金色のバッジを渡し、シェラは代わりにバッグを受け取った。
お菓子? と思って見ていると、会計を済ませたヴァンツァーはショップバッグを受け取って店を出ようとしていた。
「あ、ま、待って!」
ありがとうございました、と頭を下げてくる店員の声を背中で聞き、ショッピングモールの中を進んでいく長身に駆け寄る。
「ヴァンツァー、これなに?」
「んー。とりあえず、誕生日プレゼントかな」
仮のね、と歩いている青年は、どこか目的地があるようだった。
「たん・・・くれるの? でも、仮・・・?」
プレゼントがもらえるなんて思っていなくて驚いたシェラを振り返り、ヴァンツァーは銀色の髪に隠れた額をツン、とつついた。
「誕生日も教えられないなんて、イケナイ人ですね」
「・・・」
叱られているのは分かっているのだけれど、それよりもデートだけではなくプレゼントまでもらえたことが嬉しくて、シェラは緩む頬を止められなかった。
「あ・・・開けていい?」
「どうぞ」
邪魔にならないように通路の端に移動し、シェラはいそいそと箱を開けた。
中には、小さいけれどキラキラと輝く石が縦に三つ並んだピアス。
「わぁ・・・可愛い」
シンプルで、どこにでも着けていけそうだ。
「キラキラ」
にこにこしていたら、「好きですか、キラキラ?」と少し笑った声で言われた。
「・・・おかしい?」
「いいえ。でも、カットは良かったけど、カラーが良くないからピンクゴールドにしてしまったんだ。キラキラしたのが好きなら、あとでもっといいのを買いに行こうね」
そう微笑まれて、シェラは絶句した。
「カット・・・まさかこれ──ジュエリーなのか?」
アクセサリーだと思っていたシェラに、「そりゃあそうでしょう」と年下の男が呆れたように言う。
「あの男からは、もらったんでしょう?」
「──へ?」
「前は開いてなかったですよね、ピアス」
「・・・」
よく見ている。
「他の男が開けたのかと思うと、ちょっと腹立ちますけど」
「・・・」
「何です?」
じっと見ていたら少し嫌そうな顔になって、それが昔のヴァンツァーのようで、シェラはちいさく笑った。
「正直に言うと」
「・・・はい」
「開けて、ってお願いした」
「・・・」
「でも、病院行けってピアッサー突き返された」
「──は?」
「ちゃんと、皮膚科か美容外科で開けて来いって」
微妙な顔つきになったヴァンツァーを見て、シェラはまた笑った。
「おかげで、綺麗に開けられたよ」
それに、と続ける。
「あの人からは、形の残るプレゼントはもらってないんだ」
レストランでの食事や、一泊二泊の旅行くらいはあったけれど。
それは、シェラにしてもそう。
特に決めたわけではなかったけれど、何となくそうしていた。
「だから、人からもらうのは初めて! ありがとう」
そう言ってシェラは、取り出したピアスを両耳に着けた。
「似合う?」
「・・・とても」
その言葉に気を良くしたシェラは、箱をバッグにしまうと荷物を持っていない方のヴァンツァーの手を握った。
「司法修習生って、お給料出るの?」
「一応公務員ですから。でも、バイトした方が余程稼げますよ」
「え、じゃあこれ」
「恋人に誕生日プレゼント渡すくらいは持ってる。口座分けてないんで、『何の金だ』って言われると困りますけど」
やっぱりちょっと怒っているらしいヴァンツァーに、シェラは「ごめんなさい」と呟いた。
「・・・私にとって誕生日って、あまり意味のあるものじゃなくて」
こんなに気にするとは思っていなかったのだ。
しゅん、としてしまったシェラに、ヴァンツァーは「いいよ」と返した。
「なら、これから意味のあるものにしよう」
「──ヴァンツァー・・・」
「誕生日プレゼントは仕切り直すから、クリスマスプレゼントを買いに行こうか」
「え、い、いいよ! ピアスもらったし、それに」
ランジェリーだって、とそちらは少し恥ずかしくて口には出来なかったけれど。
「──お揃い」
「──え?」
「したいんだろう? 職場であまり目立つのはまずいだろうから、スタッドピアスにしますか? もちろん、指輪やネックレスでもいいけど」
指輪ならネックレスに通せるか、と呟きながら歩く青年は、ジュエリーショップに向かっているらしい。
「・・・」
何だろう?
何でこの子は、こんなにも私を甘やかすのだろう?
そんな風に思っていたら、ため息が聞こえてきた。
怒らせただろうか、と見上げたら。
「・・・ごめん。俺も結構浮かれてる」
思いがけない言葉に、シェラはパチパチと瞬きをした。
「無理強いはしない。でも、遠慮もしないで欲しい」
「・・・うん」
そうだ、これからは誰に憚ることもない。
堂々と、こうして手を繋いで歩いたっていい。
シェラは、ちょっとドキドキしながら、繋いでいた手を絡めるようにして握り直した。
ヴァンツァーも握り返してくれたから、嬉しくなって訊いた。
「きみの誕生日は?」
「4月1日ですよ」
「──・・・それって本当?」
思わず訊ねたら、「えぇ」と返された。
「だから、その日は嘘禁止ですよ?」
俺は吐くけどね、と理不尽なことを言われて、シェラは思わず「何それ」と笑ってしまった。
──じゃあその日は、この子の好物ばかりを食卓に並べて、たくさん好きだと伝えよう。
「ねぇ、ヴァンツァー」
「うん?」
「雑貨屋さんに寄ってもいい?」
「いいですけど」
どうして? と訊ねてくる藍色の瞳に、シェラはにっこりと笑顔を返した。
「クリスマスプレゼント、ペアのマグカップがいい!」
「・・・そんなものでいいんですか?」
「随分安いな」とでも思っているのだろう、眉がひそめられる。
「新しい家で使おう?」
キラキラと宝石のように輝く菫色の瞳が期待するように見上げてきて、ヴァンツァーは自然と頬を緩めた。
「じゃあ、ステンレスとか、割れないやつにしましょうか」
「──それいい!」
心から喜んでいるのだろうことが分かって、両手が塞がっていたヴァンツァーはシェラの額に唇を落とした。
「──のわっ!」
あんまり可愛くない声が出たものだから、ヴァンツァーは余計に笑ってしまった。
まったくもう、と呟きながら前髪を撫でているシェラだったけれど、その顔が満更でもないことなどもちろん分かっている。
「楽しみですね」
意地悪でも厭味でもないヴァンツァーのそんな言葉に、シェラはにっこりと笑って頷いた。
**********
なげー・・・。
末永く爆発するといい。
時間が過ぎるのは早いです。
久々の仔豚ちゃんネタ。久々というか、書いたの1年前らしい。ほんとかよ。
久々の仔豚ちゃんネタ。久々というか、書いたの1年前らしい。ほんとかよ。
**********
「・・・嘘でしょう・・・?」
菫色の瞳は大きく瞠られ、瞬きすら忘れている。
「いやぁ、お強い」
ははは、と朗らかに笑う近衛騎士団副団長の端正な容貌を、形が変わるまで殴りたい衝動に駆られたシェラであった。
「・・・負けたのですか?」
「1本取られました」
「負けたのですね?」
「負けましたね」
負けを認められる潔さは好ましいが、そういうことではない。
「王族を守るべき立場の近衛の、副官殿が、殿下に負けた、と」
「はい」
あっさりと頷かれ、花を愛でるのが似合いそうなほっそりとした手が拳を握る。
「おや? 殿下とのデートに一歩近付いたのがお嫌ですか?」
「本気で仰ってますか?」
天使や精霊のように美しい女性から射殺しそうな視線を向けられて、アスティンは肩をすくめた。
「手を抜いたりはしていませんよ」
「なお悪いではありませんか」
剣を手に取ってからたった3年程度の駆け出しに、騎士の中でもエリート中のエリートが本気で戦って負けたなど。
「殿下は、驚くほど先を読むのが巧い」
真面目な顔になった近衛の副官は、いえ、と言葉を続けた。
「おそらく──あれはそのように動かされたのでしょう」
この言葉に、シェラは眉宇をひそめた。
「流れを作られた、と?」
「魔法ではありませんね。風の精霊の力を借りれば出来ないことではありませんが、殿下は剣術の訓練中は決して魔力を使いません」
打ち合わせる剣の角度、身体の位置、剣を振るう速度や膂力、それらをすべて計算すれば理論上は可能──理論上は。
「実際にそれが出来る剣士は、ほとんどおりませんがね」
「あの方は・・・」
「逃げるようであまり好きな言葉ではありませんが、間違いなく天才です」
引きこもりで、怖がりで、お菓子が好きなやさしい方。
シェラは、それまでの険しい顔が嘘のように、困ったように眉を下げた。
「王太子殿下は、決してあの方を戦場にお連れにはならないでしょうが・・・」
「その魔力のみで、戦況をひっくり返せる方ですからね」
「妃殿下のおかげで、デルフィニアとの友好関係も築けております」
「懸念はパラストですが、さすがに我が国とデルフィニア両国を敵に回すことはないでしょう」
そうは言っても、先のことは分からない。
シェラは、第二王子が参戦したときのことを考えた。
+++++
森の中、ぽっかりと開けた平原が今回の戦場。
タンガの砦からは、地を覆うほどの歩兵と、その奥には騎馬隊が見える。
敵兵の数はおよそ3千。
「すごい数・・・」
「怖いですか?」
シェラが訊ねると、深く澄んだ青い瞳が見下ろしてきた。
「この砦を守ればいいんだよね?」
「はい」
「あの人たちに、帰ってもらえばいいんでしょう?」
それが出来るのであれば一番良い。
けれど、それが難しいから戦争が起きているのだ。
攻城兵器とともに近付いてくる敵国の兵士を見つめ、王子はすぅっと息を吸い込んだ。
「──ノーム~、落とし穴~!」
気の抜けた声が、森の中に響く。
え? と首を傾げたシェラは、次の瞬間心臓が止まる思いをした。
ズゥン、という重い音とともに、大地が揺れ、土煙が敵兵の足元から立ち上る。
そして──大地はその形をなくした。
足元にぽっかりと空いた大穴へと、攻城兵器もろとも落ちていく人間たち。
ブワッ、と鳥肌が立った腕を、シェラは無意識のうちに擦っていた。
一瞬、本当に一瞬で、数百の命が失われた。
「──あ、泳げない人っているかなぁ?」
「え?」
「土の下、落ちたら痛いかと思ってウンディーネに水を入れてもらったけど・・・」
言われて下を見れば、大穴にはひたひたに水が張られており、必死にもがく兵士たちの姿。
大穴は巨大な水溜りで、大半の兵士はまだ生きているらしい。
「・・・殿下」
「なぁに?」
「泳げないものもいるかも知れませんが」
「あ、やっぱり?」
「何より、鎧は重いのです」
「ん?」
首を傾げる様子は戦場に見合わない可愛らしさであったが、シェラは痛む頭を押さえた。
「軽歩兵であれば革鎧程度でしょうが、金属の鎧を身に纏っていれば──水に沈みます」
「──えっ?!」
ぴゃっ、と飛び上がった王子は、戦場に目を向けると声を張り上げた。
「シルフ! みんな持ち上げて!」
ザバァァァ!
飛沫を上げて、数百の人間が持ち上がる。
地上にいる敵兵たちは、唖然としてその様子をただただ見つめていた。
「うわっ、ちょっ、何か暴れ・・・シルフ! 落としちゃダメだからね!!」
必死に精霊へと指示を出しているらしい王子の姿を見て、シェラは逆に冷静になった。
「殿下」
「な、何っ?! あー、もう、何であの人たちあんなに動くの?!」
「殿下」
シェラは、王子の集中を切らさないよう、静かな声で告げた。
「私の目から見て、あの兵士たちは森の木のてっぺんと同じくらいの高さに浮いているように思います」
「そのくらいだと思う!」
「人間は、普通浮きません」
「そうだね!」
「家よりも高い場所に持ち上げられて、もし落ちたら死にます」
「私は落とさないよ!」
「はい──それを、彼らは知りません」
「・・・・・・」
シェラは、見たこともない険しい顔の王子と目を合わせた。
しばらく沈黙が訪れたが、「シルフ!」と王子はまた声を上げた。
「ゆっくり! ゆっくり、水溜りの向こう側にみんなをおろして!!」
王子の言葉の通り、持ち上げられた兵士たちは全員、敵側の地面におろされた。
気を失っているものもいるのだろうが、大半のものは恐怖で身動きが取れないでいる。
「・・・ウンディーネ。怪我した人とか、水を飲んじゃった人は、治してあげて。あと、サラマンダーは濡れた服を乾かしてあげてね」
疲れた声で王子が呟く。
魔力の使いすぎというよりは、慣れないことをしたためだろう。
ぐったりと椅子に座り込みながら精霊に指示を出す王子はお人好しにも程があるが、それを止めるものはこの場にいなかった。
+++++
「・・・わたくしは、殿下には『美味しい、美味しい』とお菓子を食べる毎日を送っていただきたいです」
「争いに向いている方ではありませんからね」
「剣術をお勧めしたのは、間違いだったでしょうか」
ほぅ、とため息を零すシェラに、アスティンは朗らかに笑って見せた。
「剣を持ち始めた頃、大雨を降らせながら、それでも我々に向かってくる殿下は微笑ましかったですね」
「今は?」
「騎士の訓練は、たまにご婦人方が見学にいらっしゃるのですが」
「・・・」
「殿下が鈍感な方で良かったですね」
やっぱり、剣術など勧めるのではなかった、とシェラは苦虫を噛み潰したような顔になった。
**********
わちゃわちゃする王子、可愛いよね。
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