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──黒い白豚。
この国の、王子のことだ。
混じり気のない黒は魔の色。
王子は人間だったが、黒髪を──強い魔力を持って生まれた。
その気になれば国ひとつ消し飛ばすことなど造作もないほど強大なそれに、周囲は腫れ物に触るような態度を取った。
魔力封じの護符すら焼き切り、感情が荒ぶれば嵐を呼び、涙を流せば洪水を起こす王子は畏怖の対象であり、どんな我儘も叶えられた。
王子は王太子ではなかったが、本人が望めばその地位すら手に入っただろう。
けれど、15歳──この国での成人の儀を終えたばかりの王子は、昼寝とお菓子を愛する怠惰な少年であった。
──難しいことは、優秀な兄上にお任せしておけばいい。
わたしは心を穏やかに、晴天と適度な雨で、この国を豊かにしよう。
揺り椅子に座りながらクッキーを食べるのが、王子の最大の幸福だった。
幼少期から楽しいこと、好きなことばかりを繰り返してきた王子の頬は真ん丸で、ちいさな子どもであれば可愛いと言われただろう。
その高い魔力のおかげで、移動に足を使わず、欲しい物は宙に浮かせて手にしてきた。
痛いのは嫌だと剣の稽古をせず、怖いからと馬にも乗らず、人に会うことを避けて部屋に引きこもり、お菓子ばかりを食べていれば自然──太る。
王子はやさしい子であったが、自分の力が恐れられていることを知っていた。
目の前にいるときはにっこりと微笑む役人や貴婦人が、陰で自分を「豚」と言っていることも。
──まぁ、事実だ。
そう思って、ナッツとチョコがたっぷり入ったクッキーを口に運んでいたが、籠に盛られていたそれもあと僅か。
おかわりを所望しようと呼び鈴に魔力を流し込む直前、コンコンコン、とドアが3度鳴らされた。
呼んでもいないのに、人が来るのは珍しい。
首を傾げた王子は、ちいさな声で「・・・どうぞ」と呟いた。
ドアは開かない。
確かにノックの音が聞こえたのに、と思った王子は、今度はもう少し大きく「どうぞ」と言った。
それでもドアは開かない。
聞き間違いだろうか、と思ったものの、王子はドアノブに魔力を込め──目を、瞠った。
「あら、ご在室でしたか」
そこには真っ白な──王子とは正反対の色彩を持った女性がいた。
雪白の髪に、白い肌、瞳の色は菫色。
「・・・天使?」
薄青のシンプルなドレスを纏った貴婦人の背に羽は見えなかったが、清らかな美貌も相まって、天使か精霊のようであった。
「・・・あなたは、誰?」
問われた天使は、見惚れるほどの完璧なカーテシーをもって応えた。
「シェラ・ファロットと申します。お目通り願え光栄でございます、殿下」
「・・・」
ぽかん、としている王子の前で、その貴婦人は深く膝を曲げたまま微動だにしない。
時が止まったかのような錯覚を覚えた王子だったが、はっとして「楽にして!」と告げた。
ゆっくりと身を起こしたシェラの美貌に笑みはなかったが、身体の前でそっと手を重ねて背筋を伸ばす、それだけの姿勢が素晴らしく美しく見えた。
「・・・ファロット、伯爵家の人?」
「はい」
「宰相に、娘さんはふたりいたと思うけど」
半分独り言のように呟いた王子の言葉にシェラは軽く目を瞠り、そうしてふわりと微笑んだ。
「長女でございます」
その答えよりも、雪解け水の中に咲いた一輪の花のような美しい笑みに、王子は息を呑んだ。
一瞬で消えてしまったそれが、瞼の奥に焼き付いている。
ファロット伯爵家の長女。
落ち着いた様子は、自分よりも年上に見える。
「殿下のお話相手を仰せつかってございます」
「──話し相手?!」
仰天の声にも、シェラは静かに佇んだまま。
一国の王子だ、侍女や侍従が数名つくのは当たり前。
「・・・わたしの?」
疑いの声を持ってしまうのは、己の魔力ゆえだ。
物を浮かせ、触れもせずドアを開け、感情が昂ぶれば天災を起こす。
そんな王子の側仕えをしたいと言う物好きなどいない。
いや、実際にはいるのだが、呼ばなければ来ない。
「・・・なぜ?」
問えば、きょとんとした表情が返ってきた。
そんなことを言われるとは思ってもみなかった、とでも言いたげなシェラの様子に、王子も首を傾げた。
「恐れながら殿下」
「・・・はい」
「なぜ、とは?」
「・・・だって」
自分は化け物だ。
皆がそう思っていることは知っている。
化け物とは恐ろしいものなのだ、と子どもの頃に呼んだ本に書いてあった。
「・・・あなたは、わたしが怖くないの?」
聞いてしまって、失敗したと思った。
王子相手に、面と向かって「怖い」と答える人間などいるわけがない。
「──まぁ、その尋常でない太り方は恐ろしいですが」
「──え?」
「え?」
「・・・」
しばし見つめ合ったふたりであったが、口を開いたのは王子であった。
「ふと・・・太り方、が・・・怖いの?」
「さすがに健康に悪いですから」
「・・・」
真顔で頷くシェラの様子に、王子は絶句した。
「殿下?」
首を傾げるその様子に、嘘はなさそうだ。
「・・・わたしは・・・あなたを、こ・・・殺してしまうくらいの、魔力がある」
嵐を呼び、地鳴りを起こす力だ。
か弱い女性ひとり引き裂くなど、わけもないだろう。
「そうなんですか」
「・・・」
分かりました、とでも言いたげに頷くシェラに、王子は瞬きを返した。
「・・・殺してしまうかも知れないんだよ?」
「殺したいのですか?」
逆に問われ、王子は慌てて首を振った。
「殿下は、過去にその力で人を殺めたことが?」
これにも首を振る。
「では、何か問題が?」
「・・・」
ないのだろうか?
ないような気がしてきた。
けれど。
「・・・嫌ではないの?」
「何がでしょう?」
「わたしの話し相手なんて、誰もやりたがらない」
「そのようですね」
「・・・」
正面から肯定されると、さすがに傷つく。
明るかった窓の外が急に暗くなり、ポツポツと水滴が当たる音がする。
「雨が」
「・・・」
「間違っていたら謝罪いたします。この雨は、殿下が?」
「・・・たぶん」
「哀しかったのですか?」
俯く王子の足元に、シェラは膝をついた。
ほっそりとした手が、ぷっくりとした、白く、やわらかい手を取る。
「殿下は、おやさしいのですね」
「・・・え?」
驚き、室内では黒くも見える深青の瞳を丸くする。
「わたくしを傷つけることが、嫌だと思っていらっしゃる」
「・・・ちがう」
そう、きっと違う。
「わたしは・・・」
自分が傷つくのが嫌なだけだ。
この美しい人に、「化け物」と罵られるのが嫌なだけ。
「雨が止んだら、お散歩に参りましょう」
「──散歩?」
「王宮の薔薇園が見事なのだと伺いました。ご案内いただけませんか?」
行ったことはないが、場所は知っている。
王族と、その許しがあったものしか立ち入ることが出来ない場所。
「・・・薔薇が、好きなの?」
こわごわと訊いた王子に、シェラはほんのりと頬を染めて「はい」と答えた。
窓を叩く音は、もう聞こえなかった。
+++++
自らの足で部屋から出てきた王子を、衛兵たちは驚いた目で見て、慌てて道を開けた。
一歩後ろをついてくるシェラを、王子はちらちらと振り返りながら歩いている。
「危のうございますよ?」
「・・・」
一度視界から外れてしまえば、天の国に帰ってしまう気がして。
「じゃあ、隣・・・歩いて」
「わたくしは臣下です」
「・・・」
こういうとき、どう伝えればいいのか知らない。
だから王子は、黙って歩いた。
「まぁ」
王宮の中庭から薔薇園へ向かおうとして、シェラが足を止めた。
だから、王子も立ち止まって後ろを向く。
「シェラ?」
「あ、いえ・・・失礼いたしました殿下」
困ったように足元に目を落とすシェラを見て、王子は首を傾げた。
「どうかした?」
「その・・・水が」
水? と思ってシェラの視線を追えば、大きな水溜り。
「水溜りに入るのが嫌なの?」
「・・・殿下の、お目汚しになりますから」
「わたしの?」
よく分からなくて首を傾げた王子だったが、シェラの着ているドレスも靴も薄い色をしていた。
泥水に触れたら、きっと茶色くなるだろう。
それは嫌だな、と思った。
「手を」
「──手、でございますか?」
驚かれるだろうか?
怖がられるだろうか?
「・・・目を、閉じて」
「目を?」
「わたしがいいと言うまで、決して開けないで」
「はい」
シェラは言われた通りに目を閉じ、軽く手を持ち上げた。
指先に王子の手が触れ、ちいさく肩が動く。
「目を、開けないで」
「はい」
向かい合ってシェラの両手を取った王子は、意識を集中させた。
お菓子の入った籠や水差しなら持ち上げたことがあるけれど、──人は、初めてだ。
出来ることは分かっている。
誰に教えられなくても。
ふわり、とふたりの身体が浮いた。
「・・・え?」
「開けないで」
「・・・」
大した高さではない。
拳ふたつ、みっつの高さ。
落ちても怪我はしない、けれど、慎重に。
そのままふたりは大きな水溜りを越え、滑るように移動した。
衛兵たちのざわつく声が耳に入ったが、シェラは目を開けなかった。
しばらくして、カツン、とちいさな音が立ち、自分の身体が重くなったような感覚を受けた。
「目を、開けて」
「はい」
ゆっくりと、白い瞼の奥から菫色の瞳が現れる。
ちょうど正面に、王子の丸い顔。
不安そうな顔で俯いている王子の黒髪の向こうに、見事な薔薇のアーチ。
「──まあ!」
赤、オレンジ、黄色。
様々な色の薔薇が、先程までの雨露に濡れて輝いている。
足元は泥水などではなく、石畳だった。
「殿下が運んでくださったのですか?」
「・・・え?」
「違いました?」
違わないので首を振る。
シェラは、ほんの少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「わたくしが、怖がるとお思いになった?」
「・・・」
「だから、目を?」
「・・・」
答えないでいる王子の、繋いだままの手をぎゅっと握る。
黒い頭が跳ね上がり、目が合う。
「やはり殿下は、おやさしい方です」
「そんな、ことは・・・」
「帰りも、同じようにしてくださる?」
「──え?」
「今度は、目を開けていてもよろしいでしょう?」
もう秘密は分かってしまいましたもの、と告げるシェラを、王子は泣きそうな顔で見つめた。
「でん──」
──ぽぽぽぽぽんっ!
軽い音を立てて、アーチを覆う薔薇の密度が増えた。
「──え?!」
菫色の目を真ん丸にしたシェラは、王子の顔をまじまじと見つめた。
泣きそうな顔をしている──けれど。
「・・・嬉しかった、のですか?」
訊いた瞬間、王子の白い頬が真っ赤に染まった。
その様子に、シェラはくすっと笑った。
「庭師泣かせですわね、殿下は。薔薇が一気に開花してしまいました」
「──え?! あ、謝らないと!」
オロオロしていると、アーチの向こうから走ってくる人影。
「何だこりゃ?!」と大声で叫ぶ声も聴こえる。
きっと庭師だ、と思い、王子はやってきたその人に「ごめんなさい!」と言った。
黒髪の少年を見てそれが誰だか分かったのか、庭師と言うよりは鍛冶屋といった風情の大柄な男は、一歩だけ身を引いた。
「ご、ごめんなさい! 悪気はなかったんです!」
「え・・・え?」
高貴な身分の少年の必死な様子に、庭師は戸惑ったように頬を掻いた。
「殿下が見事な薔薇の様子をお喜びになって、蕾まで咲かせてしまったのです」
「はぁ・・・そうですかい」
喜んだのは薔薇の見事さにではないが、強い魔力を持った王子が天候を操ることは知られている。
花くらい咲かせるのかも知れない、と思った庭師は、王子に訊ねた。
「・・・気に入ったなら、持っていきますかい?」
「──え?」
青い瞳を真ん丸にした王子に、庭師は咲き誇る薔薇を指差した。
「王子様でしょう?」
「・・・はい」
「この薔薇園の花は、王族なら持ち出してもいいことになってますんで」
「・・・は・・・はい! ください!」
王子が笑顔になると、また花の量が増えた。
「──あ、わっ! ご、ごめんなさい!」
「・・・いえ、花も喜んでるってことでしょうから」
あたふたする王子と困惑顔の庭師の様子に、シェラは目許を笑ませた。
「どうぞ、奥の薔薇も見てやってください」
その間に花を用意しておく、という庭師の言葉に、王子とシェラはアーチを抜けて薔薇園に足を踏み入れた。
+++++
シェラが馬に乗りたいと言うから、乗馬を始めた。
健康のためにと勧められて、剣術の稽古をつけてもらうようになった。
部屋にある外国語の物語を読んで聞かせたら、シェラが喜んだ。
シェラとお茶を飲みながら食べるクッキーは最高に美味しくて──ひとりだと、味気なくなった。
「ねぇ、シェラ」
「はい、殿下」
「また服が大きくなっちゃったんだ」
お茶を用意していたシェラに、これ、と言って厚みのある上等な藍色の生地で出来た上着を見せる王子。
上は真っ白なシャツ一枚の王子の姿に、シェラは頷いた。
「新しいものを仕立てさせましょう」
「え、いいよ、もったいない。服はいっぱいあるんだ──大きさが合わないだけで」
シェラよりもずっと背の高くなった王子は、ねだるような視線を向けた。
「・・・シェラ、裁縫得意だろう?」
「淑女の嗜み程度には」
「腕周りとお腹周りを、もうちょっとちいさくして欲しいんだ」
ため息を零したシェラは、「肩周りは?」と訊ねた。
「そのままでいい。あんまりぴったりしてると、剣を振るとき邪魔になるから」
「分かりました」
「ありがとう!」
輝くような王子の笑顔に、シェラは仕方なさそうな笑みを返した。
「では、お預かりします」
「ここでやればいいよ」
「ですが道具が──」
言ったときには、目の前に裁縫箱。
「・・・殿下」
にこにこと笑ってシェラの用意したお茶に手をつけた王子は、別の上着を用意するつもりはなさそうである。
「シェラは魔法使いだね」
本物の魔法使いの王子にそんなことを言われても、と思ったシェラではあったが、大人しく王子の前に座り、糸切り鋏を手に取った。
「いつも、あっという間に直してくれる」
「恐れ入ります」
淡々と糸を切り、迷いなく針を進める。
王子は飽きることなくその様子を見ながら、シェラに話しかける。
「団長が、変なこと言うんだ」
「変なこと?」
団長──近衛騎士団長は、王子の剣術の師匠でもある。
王族を直接警護する近衛は、剣の腕はもちろん、家柄と見目も重視される騎士の花形だ。
「あと2、3年もしたら、ご婦人方が目の色を変えてわたしに飛びかかってくるようになるって」
「・・・」
「それって、二十歳になったら発動する呪いか何かかな?」
「・・・」
怖いなぁ、と呟く王子をちらりと見遣り、シェラはすぐに手元に視線を戻した。
歩くよりも転がった方が早いと陰で揶揄されていた王子は、成長期で背も伸び、乗馬や剣術で鍛えていることもあって、今や輝く美貌の主となった。
高い魔力を表す漆黒の髪は艷やかで、青い瞳は理知的、頬と顎のラインは鋭角で肩は広い。
ぽっこり真ん丸だったお腹は、鬼のように強い近衛騎士団長と、柔和ながら有無を言わさない強さを持つ副官に鍛えに鍛えられ、鋼のように硬くなった。
化け物だ豚だと言われて育った本人にはさっぱり自覚がないようだが、兄である王太子を除けばこの国一番の貴公子だ。
「呪いの気配はしないけど・・・」
「・・・呪いではないと思います」
「──シェラ、何か知っているの?!」
あなたが大層な美形であることならば、と思わず口にしそうになったシェラだったが、飲み込んだ。
言っても、この王子はきょとん、とした顔をするに決まっているからだ。
それに、この王子は役人と女性が苦手だ。
自分が好意を持たれているとは思わないだろう。
「いえ・・・」
「宰相にも相談したんだ」
「──父に、ですか?」
「宰相は知らないことがない人でしょう?」
「・・・」
そう言われたら、きっと本人は「知ってることしか知らないよ」と笑うだろうことが想像できるシェラだった。
厭味かと。
「父は何と?」
「それが、団長よりもっと分からないんだ」
「と、言いますと?」
「お嫁さんをもらえば分かりますよ、って」
「・・・」
そのお嫁さんをもらうまでが大変なのではないか、と思ったシェラだった。
「だからうちの娘はどうですか? って」
「──は、ぃっつ・・・」
思わず縫い針で指先を刺してしまい、シェラは顔を顰めた。
「珍しい」
言って、怪我をしたシェラの左手を、王子は両手で包み込んだ。
ほわり、と指先が暖かくなる。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
にっこりと微笑んだ王子が手を離せば、そこには傷跡ひとつない白い指先。
まったく何をやっているのだ、と内心嘆息したシェラだったが。
「男勝りで嫁の貰い手がなくて困っていた、って」
「──は・・・え、何がですか?」
「シェラは淑女でしょう?」
「・・・えぇ」
「じゃあ、妹さんのことかな?」
「・・・」
「でも、シェラの妹さんって何歳だっけ?」
「・・・9歳です」
「9歳じゃ、まだお婿さん探しは早いよね?」
「・・・」
「それなら、嫁の貰い手がないのはシェラなのかな?」
どう答えて良いのか分からず、シェラはチクチクと針を進めた。
「どうしてだろう? シェラは綺麗で、お茶も美味しくて、裁縫も上手なのに」
「・・・」
「そう言えば団長が」
今度はまた団長か、と片袖を縫い終えたシェラはもう片方に取り掛かった。
「稽古をつけてくれるようになったときに訊かれたんだ。どのくらい鍛えればいいのか、って。どのくらいとか言われてもよく分からなくて、だから逆に訊いたんだよ──シェラを守れるくらい強くなれますか、って」
「・・・」
「そうしたら、団長すごい変な顔して」
「・・・」
「アスティンは吹き出しそうになってた」
「・・・」
「何でそんな顔されるのか分からなかったんだけど、この3年すごい厳しく稽古つけられた。何度ももう無理だって思ったんだけど、その度にふたりに言われるんだよ──シェラを守りたいんだろう、それならもっと強くなれって」
「・・・」
「あぁ、か弱い女性を守り抜くのって、大変なことなんだなぁ、って思った。おかげで、魔力を使わなくても近衛くらいには戦えるようになった」
頬杖をついた王子は、シェラがお茶と一緒に用意した蜂蜜の香りがするクッキーを口に運び、嬉しそうに微笑んだ。
相変わらず甘いものに目がない王子だったが、シェラが作るお菓子は特に好きなようだ。
「今日は人参だ」
「──え」
分かるんですか、と驚いた顔をしているシェラを横目に、王子は2枚目のクッキーに手を伸ばす。
「おから、って言うんでしょう? カリンが言ってた。豆を水でふやかして、潰して、すごく手間がかかるんだって」
「・・・」
「わたしが野菜を食べないから、シェラが考えてくれたって」
3年前と比べて、王子の口から出てくる名前が増えた。
口数も。
「ありがとう、シェラ」
笑顔も。
「・・・いえ」
「具合悪いの?」
──ち、かい・・・!
焦点が合わなくなるほど近くに迫る美貌に、シェラは思わず引いた。
「・・・大丈夫?」
心配そうな藍色の瞳。
ずっと人と接して来なかったから他人との距離感を測るのは苦手なようだが、傷つけられて育った王子は、自分が人を傷つけてしまうことにも敏感だ。
「・・・わたしが我儘を言うから、怒っている?」
「・・・いいえ」
「本当に怒っていない?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「本当の、本当に?」
「はい」
「本当の、本当の、本当に?」
「はい」
「結婚して」
「は・・・──は?」
シェラが目を丸くすると、どこかから軽い破裂音が聞こえた気がした。
警戒するよう、素早く周囲を見回す菫の瞳。
「シェラは、天使だからね」
「で、殿下?」
「化け物は嫌か」
「──殿下!」
「わたしなど、良くて白豚だ」
「・・・」
今の王子を見てもまだそんなことを言うものはいないだろうが、それは幼い王子の心を深く傷つける言葉だったのだろう。
サァサァと雨が降っている。
「殿下」
「3年後には死ぬかも知れないし」
「呪いではありません」
「まだ団長に勝てないし」
「十分お強くなられました」
「じゃあ結婚してくれる?」
「・・・」
微妙な顔つきになったことを、自覚はしているシェラだった。
王子は目に見えて落ち込んだ。
「豚はダメか」
「そうではなく」
「じゃあ結婚してくれる?」
純真そのものの瞳で見つめられ、シェラは座り直して王子の上着を縫うことにした。
「・・・やっぱり、団長みたいな男振りでないとダメなんだろうか」
顔だけなら団長より上です、とは思ったけれど言わないシェラだった。
「それとも、アスティンのような色気・・・?」
そのうち越えます、とも思ったけれど、口にはしない。
「はっ! 兄上のような政治手腕だろうか!」
国をふたつに割るのはお控え下さい、と内心思う。
「せ、世界征服なら怖いけど頑張る!」
「怖いなら大人しくしてて下さい!」
「だって女性はちょっと危険な男に憧れるんでしょう?」
「・・・殿下は、わたくしをいくつだとお思いですか」
「女性はいくつになっても少女だって、団長が」
「・・・」
女の敵が、と思いはしたが、この王子にあまり汚い言葉は覚えて欲しくない──関わっている面々的にだいぶ手遅れのような気もするが。
「・・・それとも、す、好きなひとがいるのかな?」
「おりません」
本当? とシェラの足元に膝をつく。
「殿下! 王族がそのような」
「妻には跪いてもいいって」
「また団長ですか」
「ううん、兄上」
揃いも揃ってこの国の男どもは無垢な王子に何を吹き込んでいるのか。
痛む頭を抱えたシェラの膝に手を置き、王子は何かを期待するように見上げてくる。
「・・・こんな年上の女の、どこが良いのです」
「シェラがいいんだ」
年上とか、年下とか関係ないよ、と微笑まれてしまえば、頬に熱が上る。
「わたくしは、たぶんあなたが思うような女ではありません」
冷たく突き放すように言えば、王子は目を丸くしたあとで嬉しそうに笑った。
「じゃあ、わたしの知らないシェラを、たくさん教えて」
「殿下・・・」
「そうだな、たとえば」
伸び上がった王子は、シェラの耳元でささやいた。
──ドレスの下に隠している、武器のこととか?
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王子、それはセクハラです。
昨日の昼から書き始めて、オチがつけられなくて24時間経過した。
仔豚なヴァンツァーが書きたくて。
小ネタやめてサイトか拍手に掲載しろと。