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惑星の温暖化現象が叫ばれて久しい。
温暖化現象の原因のひとつと言われている二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスのうち、人為的に発生するものを減らそう、食い止めようとする動きもある。
南極や北極の氷が解けて海面が上昇したり、極寒の地で生きる動物たちの住処が奪われていると問題視する声もある。
かと思えば逆に、二酸化炭素は温暖化現象にはほとんど影響しないと言う学者や、氷が解けるのと同じ勢い──それ以上に北極の氷は増えているとする説もある。
どちらの説が正しいにせよ、太古の時代と比べれば、人類の居住する惑星の多くは人口の増加や森林伐採などによる生態系の侵蝕・破壊が起きていることは間違いない。
守れるものは、守った方が良い。
子や孫の時代はもとより、子々孫々まで己の血筋が健やかに続くことを願うならば、出来る限りの努力はすべきである。
「「シェラ~~~パパ~~~」」
きゃっきゃ、きゃっきゃと光が弾けるような明るい声を響かせて駆けてきたのは、ファロット一家の次女と三女だ。
銀色の髪はまっすぐとふわふわだし、左右で違う瞳の色は鏡に映したように反対。
それでも、まぁるいほっぺたとちいさな鼻、花びらのようなぷっくりとした唇はそっくり同じな天使たちは、少々内向的で人見知りをするが、大好きな家族と一緒にいるときは楽しそうに笑い、たくさんお喋りもする。
「あーちゃん、りっちゃん。おかえり」
「「ただいま~~~!」」
外で遊んでいた子どもたちの帰還を、シェラは聖母の笑みで出迎えた。
ソファでシェラの隣に座っていた男も、穏やかな表情で娘たちを見つめている。
「あのね、あのね」
「あのね、あのね」
両足にじゃれついてくるアリアとリチェルカーレの話を聞こうと、シェラは少し身を乗り出した。
「シェラ! パパ!」
新たな声の出現に、呼ばれた方は揃って声のする方に目を向けた。
そこにはちょっと前屈みになってお腹を抱えている次男と、そのすぐ後ろを少し心配そうに歩いている三男の姿。
ひやりと背中を冷たいものが伝ったシェラである。
もしや、どこか怪我でもしたとか、腹痛で苦しいとか、何かあったのか、と口を開こうとしたとき。
「見て見て!」
叫ぶように嬉しそうな声を上げたロンドは、抱えていたお腹から手を離した──いや、シャツの裾を、ガバッと持ち上げたのだった。
「パパの真似!!」
持ち上げられたロンドの服の下からは、色白のぺったんこなお腹──ではなく、なんとくっきりと割れた腹筋が現れた。
「え・・・」
「──ぶはっ!」
目を点にしたシェラは、しかし真横で聴こえた耳慣れない音に意識を奪われた。
「え、ぶ、ぶは?」
すぐ隣ではヴァンツァーが死にそうになって震えている。
しかも耳には「あはははははははは!」という聞いたことのない音が響く。
え? え? と混乱したシェラは、ヴァンツァーとロンドを交互に見遣り、「──あ!」と気がついた。
「ろ、ロンちゃん! それ──パン?!」
「うん!」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべているロンドの腹には、6つに割れた腹筋──ではなく、美味しそうに焼けた山型食パン。
「パパみたいでしょ!」
どこか誇らしげな様子で頬を紅潮させている息子を呆然と見遣ったシェラは、まだ「あはははははは」という音が止まなくて、耳鳴りかと思って音のする方に目を遣り。
──わ、笑ってる?!
笑うなどという上品なものではなく、『爆笑』ですら可愛い表現に思えるほどの勢いで腹を抱えている男の姿があった。
ファロットであった頃や、生き返ってからしばらくは、精巧に造られた人形のようにひたすら美しく、ほとんど表情の動かない男であった。
学生時代には『永久凍土の貴公子』とまで呼ばれたその鉄壁の無表情は、一部の友人によって解かされ、子どもが出来てからは楽しそうに笑う様子が頻繁に見られるようになった。
声を上げて笑うこともないわけではないが、ここまで大笑いしている姿はさすがのシェラも初めて見た。
「ねぇ、パパ。かっこいい?」
ソファに突っ伏して笑っているヴァンツァーの前まで行き、ロンドはパンのお腹を突き出すように見せつけた。
「あ・・・あぁ、かっこ・・・かっ、ふはははははっ!」
──・・・壊れた・・・。
呆然としたところから立ち直れないシェラである。
見つめた男はまだ笑っている。
こちらは本当に綺麗に割れている腹筋を押さえているところを見ると、相当そこが痛むらしい。
「どうして笑ってるの? やっぱりぼく変?」
ロンドが腹の食パンを手に持ち直し、ちょっと哀しそうな顔をすると、おそらくヴァンツァーは過去のどんなときよりも真剣に、それこそ死ぬ思いをして笑いを収めた。
笑いすぎと、滲んだ涙で紅くなった目元を拭い、繕いきれない笑みで口許と頬を緩めながら身体を起こす。
「いや・・・悪い。くくっ」
それでも、どうしても少し笑ってしまうらしい。
2、3度深呼吸をし、ぺったりと眉を下げている息子の頭を撫でてやった。
「何というか・・・俺は、お前たちのことが大好きなんだ」
「知ってるよ?」
「リチェも!」
「アリアも!」
当然のように肯定して不思議そうに首を傾げるロンドに、アリアとリチェルカーレが便乗して手を上げる。
声には出さないが、フーガも同じように思っている、とこくこく頷いている。
4人とも、父の──もちろんシェラのもだ──愛情を疑ったことなどない。
子どもは敏感だ。
大人たちの見せるやさしさが表面だけのものか、本物か、心の深い部分で感じ取ることが出来る。
「そうか」
いくつになっても衰えない美貌には、慈愛と、尊敬のようなものが浮かんでいる。
シェラはそれをじっと見つめていた。
「たぶん、お前たちも俺のことが好きだと思って」
「「「「──『たぶん』じゃない!!」」」」
一斉に否定されて藍色の目を瞠ったヴァンツァーだったが、ゆっくりと嬉しそうで幸せそうな笑みを浮かべた。
「──悪い。お前たちも俺のことが好きだというのが分かって、嬉しかったんだ」
「それで笑ったの?」
ロンドの疑問に、ヴァンツァーは頷いた。
「あんな風に真似をされたのは初めてで・・・」
思い出したのだろう。
また少し笑っている。
「あんな風に、嬉しそうに真似をするほど、俺のことが好きなのかと思って」
「大好きだよ!」
「アリアも!」
「リチェも!」
フーガもやはりこくこく頷いている。
そんな4人に向けて更に笑みを深めたヴァンツァーは、大きくその腕を広げた。
すぐにその腕の中に飛び込んできた兄や妹たちに少し遅れてやってきたフーガも、みんないっぺんに抱きしめて、ヴァンツァーは「うん」と頷いた。
「ありがとう」
ぎゅうぎゅう抱きしめ合う父子を見ていたシェラも、何だか嬉しくて笑顔になった。
「ねぇ、ぼくもパパみたいになれる?」
やがて、ロンドが青い瞳を期待に輝かせて訊ねた。
「そうだな・・・」
少し考えてロンドの全身を見たヴァンツァーは、ふわふわの黒髪を撫でてやった。
「お菓子の量を少し減らしたら、なれるかもな」
「──えっ?!」
そんなの無理じゃない?! と愕然とした表情になるのを見て、シェラはちいさく吹き出した。
「・・・ぼくも、お菓子減らしたら、なれる・・・?」
おずおずと訊いてくるフーガにも目を遣ったヴァンツァーは、少し首を傾げた。
「フーガの骨格はシェラに似ているから、この食パンみたいになるのは難しいかもな」
「──シェラみたいにはなれるの?!」
それはそれで構わないと思っているらしい息子に、ヴァンツァーは頷いた。
「シェラより、もう少し男らしい身体になると思うよ」
「もう少しって、どれくらい?」
「うん。たぶん、背はシェラより高くなる。肩幅も、広くなるかな。ただ、あんまり筋肉がつく身体ではないから、そんなに厚みは出ないだろうな」
「・・・ランちゃんみたいな?」
ライアンのことだ。
今よりもっと幼い頃、『ライアン』と呼ぶことが出来ずに『ランちゃん』と呼んでいたのが続いているのだ。
「そうだな。──まぁ、あそこまで硬くならなくてもいいと思うが」
苦笑するヴァンツァーに、フーガは少し首を傾げた。
「リチェは?」
「アリアは?」
内容はよく分かっていない可能性が高いが、銀色の天使たちもぴょんぴょん飛び跳ねて訊ねる。
「ふたりは、ソナタみたいになるかな」
「「──おねーちゃんすきっ!!」」
蛇足ながら、リチェルカーレは確かにソナタのようにスラリとした細身の少女に成長するが、アリアは華奢ではあるものの、胸のボリュームが姉とは比較にならない成長を遂げる。
「──誰の遺伝?!」
と、驚愕して羨ましがったソナタだったが、夫の「パパさんでしょ」という台詞に妙に納得してしまったりもする。
──と、まぁ。
ファロット一家の面々は、今日も愉しく幸せに暮らしているのであった。
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ヴァンツァーさんの温暖化現象でした。
こういう温暖化現象ならウェルカムですね。